ダイバーと漁業者の共存めざして
「里海」築く黒潮実感センターの挑戦
田中淳夫(ノンフィクション作家)

(平成14年5月23日「農林経済」掲載)


 高知県の西南端に位置する大月町の柏島。本土と橋が掛かっているとはいうものの、周囲三・九kmの小さな島だ。人口も五百七十人ほど。高知市からは、車で四時間以上もかかる。だがダイバーには馴染みのある地名かもしれない。この島の周辺は、四国随一、いや全国的なダイビング・スポットとして注目を浴びているからである。
 南国土佐とはいえ、四国は温帯域に属する。しかし柏島周辺には珊瑚が群生し、魚影の濃さと魚種の多さでは日本でも一、二を争う。さらに断崖絶壁の続く海岸線や、岸からすぐ六十mも落ち込むなど複雑で魅力的な地形が広がっている。
 おかげでダイビングだけでなく、船釣り、磯釣り客も集めている。もちろん漁業も、昔から盛んだった。本土側より島の方が栄えていたというほどである。決して僻地ではなかったのだ。
 だがダイビングが盛んになるにつれて、漁業関係者とダイビング・サービス関係者の間で軋轢が広がりつつある。また環境破壊なども目立つようになってきた。そこで両者の間に入り、海を守りつつ両者の共存をめざす動きが現れた。それが現在NPO法人として認可申請中の「黒潮実感センター」の設立である。
 全国の海で問題となっている漁業と観光業の対立に一石を投じるこの動きを紹介したい。
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 まず最初に「黒潮実感センター」が立ち上がるまでの経緯と、設立に尽力しているキーパーソンの神田優さん(35)を紹介しよう。彼は、この十数年柏島とともに歩んできたと言ってよい。
 神田さんは、高知市生まれ。小学生の頃に大阪に転居したが、高知大学農学部栽培漁業学科に入学して高知にもどってきた。そして大学一年生の秋に、ダイビングのため柏島へ初めて来た。それまでは沖縄を中心に潜っていたのだが、地元高知のポイントとして柏島を訪れたのだ。
 当時から、柏島の海は素晴らしいという噂はあったらしい。しかし、島にはダイビング・サービスもなく、またたどり着くだけでも大変な道のりだ。ここで潜りたければ、タンクも自分で運び、漁船を交渉してチャーターしなければならなかった。穴場と言ってもよかっただろう。

「沖縄より魚影が濃かった柏島」

「潜る前に頭にあったのは、温帯の海でした。ところが海に飛び込んでびっくりしました。一面珊瑚が広がり、色とりどりの熱帯魚が群れている。抜群の透明度に加えてダイナミックな地形が広がり、上下左右を魚に取り囲まれたんです」
 ブリやカンパチの大物がいるかと思えばキビナゴが群で水面を覆う。タカベやイサギの群が川のように流れる。そしてウミガメまで多くいた。沖縄よりも魚影が濃いと感じた。
 神田さんは、柏島に通いつめた。彼の経験は柏島のダイビング事業の発展と重なっている。当時柏島で行われていたダイビングは、どちらかというと魚介類の採取が目的の場合が多かった。もともと伝統的に潜りによる採取は行われていたからである。
そこに神田さんは、初めてダイビング・ガイドとなり、レジャーとしてのダイビングを定着させたのだ。現在潜られているポイントの多くは神田さんが発見・開発したものである。
 ただ神田さんが、本当の意味で柏島に入れ込んだのは、大学の卒業論文と大学院の修士論文の研究のフィールドに、沖縄の座間味とともに柏島を選んだことだったという。とくに修論の際は、島に家を借りて四カ月間滞在した。毎日海に潜って魚類の調査を行うが、帰ると軒先に野菜などが置いてある。そんな島民との交流が、島の生活を忘れられなくした。
 その後、東京大学大学院の博士課程に進学するが、再び高知大学の非常勤講師として高知に帰って来る。その過程でも、常に研究フィールドは柏島だった。海洋生物学者としてだけでなく、もっとも愛する土地として島を選んだのだ。
 柏島の魚類の多さは世界でも指折りである。一九九六年の調査では、確認された種類が百四十三科八百八十四種に上る。これは、小笠原諸島の広範囲の海で確認された魚類数を軽く越えている。その後の調査では、日本初記載や新種と思われる魚類が百種以上見つかり、全部で千種に近い数となっている。それも熱帯性と温帯性の魚類が入り混じっているという特異な生態だ。日本近海の魚の種類は三千六百種程度だから、その三分の一から四分の一の種数が狭いこの海域で見つかることになる。またイシサンゴを始めとする九十種ものサンゴの群落があり、こちらも本土周辺では一、二を争う規模だった。
 この多様性の原因は、完全には解明されていないが、ちょうど黒潮が沖を流れ、そこに内陸の宇和海からの海水が混じり合って複雑な海流が生まれていることと、変化に富んだ地形がもたらすのではないかと考えられている。台風が頻繁に来襲することも関係ありそうだ。いずれにしても世界屈指の海が広がっているのだ。

「センター構想生まれたのは97年末」

 平成八年に、高知大学海洋生物教育研究センターの支所を柏島に建設する計画が持ち上がった。もちろん推進したのは神田さんである。島に支所ができれば研究が進むだけでなく、島に恩返しできるという気持ちが強かったという。柏島の人々が気づいていない、島周辺の海の素晴らしさを伝えたいと思ったのだ。
 残念ながら、支所建設の計画は、折からの財政再建と大学改革の動きの中で断念する。しかし、その報告を兼ねた大月エコロジースクールにおいて、参加者から継続して実現の可能性を追求して欲しいという要望が出された。そこで神田さんは「大学の研究施設ができなくても、柏島の価値は変わらない。国が無理なら町や民間で立ち上げよう」と提案した。
 そして提案したのが「黒潮実感センター」構想だ。神田さんは、すぐに柏島に移り住む。九七年の末のことだった。それから五年、ようやく今夏NPO法人黒潮実感センターは誕生する。

「ダイビング業者と漁業者の交渉は決裂」

「黒潮実感センター」でめざすものは何か。
 それを語る前に、神田さんが初めて柏島に訪れた時から現在までの島の変貌について触れておきたい。まず、大月町内にダイビング・サービス業者は現在十七軒ある。そのうち島内には十四軒。地元の人の経営もあれば、外部から進出してきた業者もいる。まさに林立状態だ。今や島への来訪者は、釣り客を合わせると年間五万人、うちダイバーは二万人と推定されている。ピーク時には一日五百人に達し、島の人口が膨れ上がる。
 一方で島では漁民の高齢化が進み、後継者がいなくなりつつあった。魚影もひと頃に比べると薄くなったという。カツオやアジを中心とした沿岸漁業が盛んだったが、ひと頃の勢いはない。マダイやマグロなどの養殖事業も行っているが、魚価の低迷もあり、昔の賑わいを取り戻したとは言えない。子供たちは島の中学校を卒業すると、島外に出て二度と帰って来なくなる。だから当初はレジャー・ダイビングという「観る漁業」の登場を歓迎した面もあったようだ。
 しかしダイビング事業が盛んになるにつれ、漁業関係者との軋轢が発生し始めた。
 最初の頃のダイバーが魚介類の採取を目的としていたため地元の観る目が厳しかったところに、あまりにも数が増えて操業中の漁船の周りに顔を出して魚を逃がしたり、船の進路を妨害する事件も起きている。同じポイントに大勢が潜ったため、ダイバーがもどる船を間違えるケースも出た。このままだと置き去りや漁船のスクリューに巻き込まれるなどの事件に発展しかねない。
 そして環境も悪化し始めた。ダイビング・ポイントまでダイバーを運ぶ船が、その地点をキープするためにアンカーを投げ込むと、珊瑚を破壊してしまうのだ。さらにダイバーが出すゴミや夜の騒音、野放図な駐車も問題になってきた。
 ところがダイビング業者側は、充分な対処ができないままだった。
 九五年にダイビング・ショップや渡船業者で設立された柏島のダイビング事業組合は、漁業者とのトラブルを避けるため、密漁の禁止はもちろん潜る際のルールを設けようと漁業者と交渉を始めた。しかし、約束を守らないダイバーの存在や、地元との認識の相違で両者の溝は深まり、とうとう決裂してしまった。以後五年間両者の間に交渉はなくなっしまう。
 漁業者にとって、海は生業の舞台であり先祖代々利用してきた。自分たちが暮らす海へダイバーが侵入してきたという思いが強い。しかし、ダイバーにとっての海は「みんなのもの」である。地元の漁業者というだけで独占されるものではないと考える。
 一般に言われる漁業権は、正確には漁業行使権である。海の利用を漁業者がすべて独占・管理するものではない。しかし歴史的な経緯もあり、また生活権の問題も絡んでいる。すでに沖縄の宮古島のように、漁業権が絡んで住民を二分した裁判にまで発展した例もある。

キーワードは「里海」

 島を愛する神田さんにとっては、自らが広げたダイビング事業が島を変えていくことに対する忸怩たる思いがあっただろう。なんとか泥沼になる前に両者の共生できる地域振興策を模索した。その要が「黒潮実感センター」だった。
 キーワードは「里海」である。これは神田さんの造語だが、里山が人里に近い山を指し、人が手を入れて作り出した自然環境を意味するように、沿岸に住む人々も含めた海の環境を意味する。この「里海」を守り育てよう、というものだ。
 島の歴史は古く、江戸時代初期に土佐藩の支藩である宿毛藩となり、初代藩主の次男山内隼人氏綱が柏島守護となっている。また土佐藩の執政を勤めた野中兼山は、島に七年かけて石堤の防波堤と波止場を築いた。石堤は漁礁の役目を果たすとともに、急な潮流をせき止め漁を可能にした。それがこの海域を有数の漁場にしたのである。
その後も島民の生活は、常に海とともにあった。
 海の自然は、沿岸に住む人々とともに育まれてきた面も強い。「里海」という言葉には、そんな海と人の共存共栄を新しく構築する意味が込められている。
 そこで考え出されたのが、島を丸ごとフィールド・ミュージアムと位置づけ、環境教育と研究調査のネットワークの拠点にする発想である。そのうえで研究の成果を地域に還元し、漁業とダイビングなど観光業を共存させ地域振興する。さらに環境保全も進めようというのだ。
 九八年に地元住民や大学研究者によって「黒潮実感センター設立準備委員会」を発足させた。
 もちろん、すぐに事は進んだのではない。神田さんも島に移り住んだとはいうものの、貯金もなく、ダイビング・ガイドをして生計を立てていたという。研究や事業の立ち上げに不可欠なパソコンを購入する資金さえなかった。
 地元が彼の構想に必ずしも理解があったとも言えない。怪しげな計画だと見なして反発もあったという。島の将来を論じて島民と激論を闘わせることも度々あった。ところが激論の相手だった島の中学校校長が、パソコン購入資金をポケットマネーで提供してくれた。また事務所として、三年後に統合するため廃校となる中学校校舎を使わせてもらえることになった。
 こうしてスタートした「黒潮実感センター」設立運動は、各地で環境学習を催すとともに、地元でも柏島がいかに素晴らしい海を持っているか学習会を開く。また島に世界的な海洋生物学者であるジャック・モイヤー博士を招いたり、橋本高知県知事も参加するシンポジウムなどを開催した。大学側からも生物学だけでなく、法律や教育など多岐にわたる分野の人が協力して「土佐の海の環境学」と名打ったリレー講義を開催して構想を具現化するために動き出した。
 その結果、出張講義をした大阪の中学校が島に修学旅行に訪れたり、山村の学校と地元の学校の交流が始まった。
 これらの活動に共感した人々が「黒潮実感センター友の会」を設立した。こちらは全国に千人を越える会員がいて、ネットを利用してそれぞれの土地で広報活動を行っている。たとえばセンターのホームページも東京の会員が作成している。大阪で写真展を開いたりする場合も、現地の会員がほとんど仕切ってくれる。
 また事務局の膨大な仕事をこなすため職員をネットで募集したところ、香川県坂出市から上原紀子さんがやってきた。趣旨に賛同し、大手商社を退社して島にやって来たのである。

「ダイビング業者を漁協管轄下に」

 その傍ら、ダイビング業者と漁業者が話し合う場をつくることに尽力した。神田さんは両者を仲介して、二〇〇〇年には「大月町スクーバダイビング事業組合」を設立にこぎつけた。そしてダイビングのルールづくりに奔走した。
 たとえばアンカーの使用を禁止して、代わりにポイントには浮きブイを設置する。
 また潜水禁止区域の設定や、マナーの確立などもめざした。
 ただダイビング業者だけの集まりでは、どうしても自己の利益優先に走りがちだし、規制する歯止めがない。そこでちょうど進行中だった宿毛湾周辺の漁協合併問題と合わせて、ダイビング組合を今年五月に誕生する「すくも湾漁業協同組合」の中に取り込む形式を取ることになった。ダイビング業者を漁協の管轄下に置いたのだ。これなら業者への監視の目も行き届く。ようやく神田さんの望む形になりつつある。
 一方で、ダイバーも島の環境保全のために、海の清掃を行ったり、サンゴを荒らす巻き貝の駆除などを行った。ダイバーの協力によってアオリイカの産卵用人工海藻を設置したのも、ダイビングと漁業が共存できることを証明するためだ。また漁業側もダイバーとより良い関係を築くとともに金を落としてもらう仕掛けとして、観光イカ釣り船を出したり、里海市を開いて産物の販売を始めた。これまで民宿以外は島と接点がなかったダイバーと交わる場ともなっている。
 もちろん、すんなりと両者が和解したわけではない。ダイビング業者の中にも意見の相違は見られるし、漁民にはダイバーに対する抜きがたい不信感が存在する。

「最近は自分の島への誇りも」
 
 またセンターの運営自体も、決して順調ではない。収益は、基本的に神田さんが行う講演や講義のほか、島で催す環境体験学習事業、委託された調査事業などである。また県や企業の助成金もあるし、友の会の会員には会費を納めてもらっている。しかし、それだけでは運営は難しい。
「今後はコンサルティング業務も行っていく予定です。たとえばアオリイカの産卵場所設置も、ほかの地域で試みたものと比べると二桁産卵量が違います。やはりイカの生態を考慮したうえで設置場所や構造を考えると効果的なんです。このようなノウハウを提供する事業を展開したいと思っています」
 一方で、神田さんの講義を通じて、島の子供たちにも自らの島に対する誇りが生まれてきた。世界有数の海を持つ島の住人としての意識も育ちつつあるようだ。このような変化は、目には見えないが大きな前進となるだろう。
 まだ動き出したばかりの黒潮実感センターだが、漁業とダイビングの共生をめざした試みは、ようやく軌道に乗りつつある。同じような悩みを抱える地域の参考になるのではなかろうか。