土佐の海の
環境学シンポジウム


高知の海の環境教育と環境行政:大学と県の役割




  開催日時 2002年1月26日(土)
  開催場所 高知大学
      共通教育棟2号館222番教室

司会(三浦):そろそろ始めさせていただきます。
 本日はご多忙の中、多くのご出席を賜りまして誠にありがとうございます。私、本日の司会進行係を務めます高知大学人文学部の三浦でございます。よろしくお願いいたします。私ども柏島研究プロジェクトは、高知大学人文学部助教授・新保輝幸を研究代表者として同学部の私三浦大介、本学農学部教授・山岡耕作、同じく深見公雄、黒潮実感センター設立委員会事務局長・神田優、東京水産大学助教授・婁小波、神戸商科大学助教授・友野哲彦、神奈川大学教授・交告尚史による共同研究でございます。
 高知県の西南部に位置する大月町柏島は、その周辺海域に希少種を含む1000種近くの魚類が棲んでおり日本有数の魚類相を誇る地域として有名なところですが、近年それを目当てにダイビングを楽しむ人々が訪れるようになり、周辺海域の過剰利用と観光客の増加による環境ストレスを受けております。私どもはこのような事態に着目し、平成10年より研究プロジェクトを立ち上げ、海の環境資源の持続的利用のあり方について自然科学分野と社会科学分野の研究者が共同で取り組み、問題解決への糸口を探る試みを行っております。
 柏島にダイバーを中心とする多くの観光客が訪れると、それは地域振興にとって有用であるということには間違いありませんが、それによってインパクトを受ける環境への配慮という視点を忘れることはできないはずです。環境保全という概念がすでにわれわれ国民の間で一つの共通のキーワードとなっておりますけれども、ところが単なる凍結型の環境保全というものを超えて、それを持続的に利用していくというのは決して生易しいことではないはずです。それには海のことについて誰よりもよく知っているいわゆる海の守人としての漁業者と島民の方々、海浜へのアクセス権を持つダイバーたちや地域住民の方々、さらに地域の環境管理者である行政がみんなで考え共同して行うべき事柄であると思われます。
 この研究はいまだ完結してはおりませんが、これまでの研究成果を踏まえ平成13年度の高知大学の共通教育の授業科目として「土佐の海の環境学」というタイトルの講義を実施いたしました。本日はその講義の締めくくりという意味もかねて、学外よりパネリストの方々をお招きして「土佐の海の環境学シンポジウム 高知の海の環境教育と環境行政:大学と県の役割」というテーマのシンポジウムを準備させていただきました。本日登場していただきます方々のご経歴につきましては、皆様に配布させていただきましたチラシの裏面にございますのでどうぞお目通し願います。それからお手元にプログラムの方、用意させていただきましたが、これに従いまして進行させていただきます。
 それではシンポジウム開催に先立ちまして、山本晉平・高知大学学長よりご挨拶させていただきます。
 山本学長よろしくお願いいたします。


山本学長挨拶

山本:高知大学の学長の山本です。前にあります「土佐の海の環境学」という新しいジャンルの研究のスタイルをとって、人文あるいは自然科学、社会科学といろんな方面からの研究の成果を、この大学の授業の中でわれわれは一年間展開をして参りました。この成果というのか最終を締めくくるために、このシンポジウムが開かれたわけです。平成13年の環境白書のタイトル(テーマ)が、「地球と共生する『環の国』日本を目指して」ということであります。この平成13年の環境白書のように、われわれの研究成果をまた地域へ戻す、あるいは地域からいろんなものをいただいてくる、そしてお互いに共生した社会をつくっていくというこういう面から、このシンポジウムのことを考えるのも一つの方向かと思っております。最後までご静聴お願いいたします。

司会:ありがとうございました。それでは続きまして高知大学農学部教授の深見公雄さんから本日のシンポジウムの趣旨説明をさせていただきます。深見先生は柏島プロジェクトのメンバーの一人で、海洋微生物生態学および海洋環境科学がご専門です。なお深見先生にはこの後のパネルディスカッションのコーディネーターをお願いしております。それでは深見先生お願いいたします。

深見:皆さんこんにちは。雨の中をおはこびいただきましてありがとうございました。私、今紹介いただきました高知大学農学部の深見です。これから本シンポジウムの趣旨と進行方法につきまして、簡単にご説明をさせていただきます。
 本シンポジウムは先ほど司会者の方から紹介がありましたように、高知大学の共通教育の授業科目、「土佐の海の環境学」というものがスタートラインになっています。この授業は高知県大月町柏島の話をはじめとした高知県の海の環境問題というものを事例といたしまして、環境と人間の関係というものを考えていくものでした。
 その中で重要な点として強調されたものは、自然資源を持続的に利用していくためには、利用にかかわるさまざまな人々、例えば地域住民、あるいは県や町といった行政機関、あるいは漁協およびダイビング組合などの経済主体、そしてNPOなどの組織、こういったものたちが協力しあわないと、高知の海の自然資源というものを保全しつつ持続的に活用していくことにはならないということでした。
 例えば、柏島のように地元の利害と感情が複雑に絡み合った場所では、錯綜した関係を解きほぐしてそして住民と環境の双方にとって最も良い状態を実現するためには、もちろん住民の努力も必要でしょう。しかしそのほかに町や県といった行政のリーダーシップというものが不可欠になると思います。また地域の教育あるいは研究機関としての高知大学も、環境研究や環境の教育などを通じて積極的にかかわっていくことが必要となります。高知の海の環境問題に対して、われわれ高知大学はどのようにかかわっていけるのか、あるいはどういう役割が望まれているのか、一方行政はこの問題に対してどのような形で存在感を示すことができるのか、またそのような努力は一般の人たちにどのような利益をもたらすのでしょうか。このシンポジウムではこういったことについて考えていきたいと思っています。
 シンポジウムの進行方法ですけれども、まずこの後東京水産大学の婁小波先生に基調報告として20分ほどのお話をしていただきます。そして、高知県の行政、教育あるいは研究機関等の各分野でご活躍の、今、前にいらっしゃいます5人のパネリストの方々にご意見をいただきながら、先ほど申し上げたようなテーマについて会場にお集まりの皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。実りの多いシンポジウムにしたいと思いますので、皆さんどうぞご協力よろしくお願いします。
 それではさっそく基調報告を始めたいと思います。講師の婁小波先生の紹介を簡単にさせていただきます。婁先生は中国浙江省のご出身で現在東京水産大学の助教授です。ご専門は水産経済学で、全国の漁村を飛び回るとともにこれらの豊富な現地調査と実証結果を基にして、漁村における漁業と海洋レジャーの提携事業の重要性に着目し、最近では漁業と海洋レジャーなどを統合的に行いながら海を利用する「海業(うみぎょう)」という考え方を提唱されています。本日はここにありますように「土佐の海の環境学?人と海との調和的関係を求めて?」というタイトルでお話をしていただきます。では婁先生、よろしくお願いします。

:ご紹介に預かりました東京水産大学の婁小波でございます。このシンポジウムは先ほど山本学長のご挨拶にもありましたように、高知大学の共通教育の一環として、それを踏まえて開かれたものでございます。私はその基調報告というような大役を仰せつかっておりますけれども、ただ一つお断りしておきたいのは、私がこれからお話しすることは、この授業全般の内容を踏まえてのものではなくて、あくまで私の立場から、「人と海との調和的な関係を求めて」という視点から考えていきたいということでございます。授業全般の話につきましてはたぶん後半のパネルディスカッションの方で各先生方にご披露いただけるものと思いますので、ここでは私の専門領域からお話をさせていただくというふうに考えております。
 具体的には三つのことについてお話をさせていただきたいと思います。一つは「人と海とのかかわりにおいて今、どのような特徴があるのか」について簡単に考えていきたい。二つ目は「今日的なかかわりにおいてどのような問題を抱えているか、あるいはその解決すべき課題をどういうふうに整理したらいいのか」についてお話しします。三つ目は「その問題、課題の解決策というのは本当にあり得るのか」ということについて、その一つのあり方として「海業」というものを紹介させていただきたいと思います。海業の中で環境の果たす役割・意義について触れさせていただいて、後半のパネルディスカッションへつなげていきたいと考えております。

1 人と海との関わり方の変化
 まず、最初の課題、「人と海とのかかわりにおいて、いかなる特徴を持っているのか」ということですけれども、歴史的に振りかえてみると、われわれ人間社会は、古くから海を利用し、海とさまざまな関わり方を結んできました。
 例えば、狩猟採取の時代から海は食糧供給の場として人々が生きていく上で欠くことのできないタンパク質を供給してくれました。食料供給という点で、現在でもその役割に変化はありません。大航海時代に入ると、海は港を中心とした交易の場として社会経済的に機能するようになり、沿岸域は文化交流や経済活動、さらには人々の交換の場となり、栄えてきました。現代に入りますと、浅海の埋め立てや工業・住宅団地造成に見られるように、沿岸域は経済活動の中心地として位置づけられるようになっています。このように、交易・交流の場としての海、生活の場としての海、産業の場としての海と、われわれは実にさまざまな形で海を利用してきたことが分かります。
 そうした中で、漁業や海運などはその典型的な産業利用形態として重要視されてきました。なかでも特に沿岸域においては漁業が海面利用の主役を演じてきました。日本では、漁業は制度的・慣習的に海の資源や空間を優先的に利用してきました。漁業法上では漁業が利用する水産動植物を「有用水産動植物」といい、沿岸海域は漁業権によって排他的利用権が保障されています。このような漁業による海の優先的利用は、産業的利用という点においては、日本における人間社会と海との古典的な関係を形成し、その関係の上に立って漁業は営まれてきたといえます。
 ところが、このような漁業による海の利用は衰退の一途を辿っています。海洋利用の先発者であり、現在なお海洋利用の高いプライオリティをもつ漁業は衰退しつづけています。昭和59年に史上最高の1282万tを記録した漁業生産量は、平成8年度には約78%減の741万tへと急減しています。また、漁家経営体数をみると、昭和55年に20万7378経営体あったものが、平成8年には約37%減の15万1562経営体へと低下しました。就業者数は昭和28年の約80万人を頂点として、平成8年には28万7千人と激減しています。とくに59歳以下層が50%以上減少したのに対して、60歳以上の就業者は50%近くの増加を見せて就業人口の高齢化が進んでいます。水産庁の予測によれば、このままのペースで推移すると、20年後には日本の沿岸漁業経営体は8万戸水準まで落ち込むことになります。
 国民経済のなかに占める漁業という産業部門の地位低下は、経済史的にみてごく自然な現象だといわれています。これは「ペティ・クラーク」の法則と呼ばれるものでございます。図をごらん下さい。国民経済の中に占める漁業部門の位置付けの変化を、労働力の点から示しています。経済発展とともに、総労働力人口に占める漁業部門の労働力人口の割合は低下しています。とくに、日本経済が高度経済成長を謳歌する1960年代から70年代にかけての漁業部門の地位低下は著しい。現実には労働人口だけではなく、国民総生産に占める漁業部門の割合も低下しています。日本漁業もこの「ペティ・クラークの法則」から逃れることはできなかったわけです。この点に関していえば、高知県も例外ではなかったのです。この図は高知における経済発展と漁業の地位関係を示したものです。この法則からは逃れられていないことが判ります。
 漁業の衰退というのは経済原理からすると自然な現象でありますが、問題なのは先ほど申し上げましたように、漁業という産業部門そのものが絶対的縮小を続けていることが問題なのです。
 従いまして、われわれが現在抱えている漁業問題を考えた場合に、かつての政策的課題として生産をいかに進行していくのかとか、国民に食料をいかに供給していくかというような形から、現在は漁家の経営をいかに健全化させるか、いかに持続再生産させるか、あるいは地域そのものの荒廃、高齢化とか過疎化というものをいかにくい止めていくかという、そういう地域問題に変化してしまっていると思います。
 ところが、このような漁業的利用の衰退とは逆に、レジャー的海洋利用のニーズは急膨張してきています。経済発展による所得水準の増加を背景に人々の「豊かさ」への欲求は量的拡大から質的向上へと向かっています。物の消費から余暇時間の消費への転換は国民生活の一大テーマとなり、余暇時間や余剰資金の投入対象として海洋レジャーが注目され、幾度と無くブームが形成されてきました。
 海洋レジャーの動向をいくつかの指標で確認してみたいと思います。四級小型船舶免許取得者数は昭和63年度の127万人から、平成9年の202万人への増え続け、それを裏付けるようにプレジャーボートの保有隻数も急増しています。サーフィンというのも急激に増えて、一時下火になりましたが、最近また増えてきています。皆さんご承知のキムタクと工藤静香は、このジャンルに入ると思います。Cカードというのは要するにダイビングをする時に持つ任意の資格です。Cカードを持つ人の数は急激に増えております。ちなみに私も持っておりますので、このカテゴリーに入いります。ダイビングというのは、よく金持ちのスポーツだというふうに言われますけれども。また、遊漁者人口の推移をみますと、昭和53年には2272万人であったのが、平成5年には3724万人へと増加している。それに伴い、釣り関連商品の市場規模は急拡大しています。
 こうした中で、今回のシンポジウムのきっかけにもなりました柏島の例ですが、柏島も1980年代後半から、あるいは90年代初頭から、ダイビング業が非常に盛んになってきました。以上のような全国的な海洋レジャー・ニーズの増加が背景にあることはいうまでもありません。
このようにレジャー的な利用が非常に多面的になってきております。これ以外にもいっぱいございます。言えることは、われわれ人と海との関係というものは、かつての漁業を中心とした単一的な利用から、多面的利用というような形になってきているのではないかということ。かかわり方が変化してきていると言っていいと思います。

2 海の多面的利用をめぐる競合と課題
 ところがレジャーのこういった多面的利用というのは、さまざまな形で利用競合という問題を引き起こしています。競合する相手というのは漁業者にほかなりませんが、中身は海域をめぐる競合あるいは沿岸域をめぐる競合と、資源をめぐる競合の二つの側面があります。海域競合では、例えばプレジャーボートの運航とか、レジャーする場所と操業する場所の競合とかの問題がありますし、沿岸域、不法係留の問題とかもあります。
 資源競合の問題とは、いうまでもなく水産物、魚をめぐる競合であります。あまり知られていないけれども、東京湾の近くの相模湾と、桜島があります錦江湾では、マダイを捕る量を水産庁あたりで推計したことがありまして、どういう結果が出たかというと、釣り人が釣ったマダイの量が、漁業者の釣った量よりはるかに多いというのです。つまり資源をめぐる競合はいま非常に激しくなっているわけです。
 こういった競合を背景にしまして、海の利用をめぐってさまざまな問題が出てきております。このような海域・空間・資源の利用をめぐる問題は大きく次の二つの側面に分けられます。一つは環境破壊の問題、つまり環境的弱者の出現であり、いま一つは秩序崩壊に伴う経済的弱者の出現です。
 環境経済学に従えば、環境問題とは「人間社会の活動によって人間社会と自然環境との関係性が阻害されて、それが人間社会の生存基盤を脅かすような問題」とされています。このような理解にもとづけば、いま海における環境問題はさしずめ、持続的利用という関係性を破壊するような、資源の乱獲と、自然環境の悪化という二つの側面に集中しております。私はこれを「環境的弱者」の出現と言っております。
 秩序の崩壊はおもに資源利用秩序、海面用秩序において発生しております。レジャー的海面利用は既存の漁業的利用秩序を揺さぶっています。その結果として、多くの漁業者は取り残されて、いわば「経済的弱者」としての立場においやられてしまい、社会的コンフリクトが急速に高まってきております。「海の問題」が実は「陸の問題」「人間側の問題」だという海洋法学者がおりますが、まさにその通りだと思います。
 その結果、かつて漁業で生計を立ててきた漁業者は既得権が侵害され、時には生活権も奪われかねない恐れを抱いて被害者意識を強めています。と同時に、レジャーを楽しむ側も「海はみんなのものなのに、なぜ肩身の狭い思いをしなければいけないか」と、こちらもまた「欠席裁判」に例えられて被害者意識を抱いています。
 沖縄県の「宮古島」での訴訟はその最たる事例だと思いますが、「柏島」でも似たような側面をもっていることを否定することはできません。
 「海はだれのものか」、このような不毛な議論は避けて、少なくとも、われわれ人間社会はいま、一つのジレンマに立たされているという事実を直視する必要があろうかと思います。つまり、国民の豊かさに、あるいは豊かさへの欲求に応えていくための効率的な資源の利用が必要なのですが、しかしこの利用によって「環境的弱者」を生み出してしまっています。また、国民のニーズに応えて新しい産業活動を展開する必要があり、新しいニーズに応えて疲弊する漁村地域の地域振興を進めていく必要がございますが、しかしそれは時として「経済的弱者」というものをまた生み出してしまっています。こういうジレンマにいま、われわれは立たされています。
 課題は、このジレンマをいかに克服するかにかかっていると思いますが、このジレンマの克服によって、今回のシンポジウム・テーマの一つでもあります「海の持続的利用」というものが図られるのではないかという気がいたします。つまり、このジレンマを克服できたこそ、「海の持続的利用」が保障されるのです。「海の持続的利用」をわれわれ人間と海との調和的な関係の結果であるという認識であれば、そのための仕組みと秩序づくりが是非とも必要となりましょう。
 繰り返すようですが、それが「経済的弱者」と「環境的弱者」をつくり出さない必要最小限の条件でもあるのです。

3 海業 人と海との調和的な関係を求めて
 それでは、はたしてそれは可能なのか。もし可能だとすればどのようなあり方が望ましいか。このことについて話をする前にいくつかの事例を紹介したいと思います。
 一つは常神半島、福井県三方町というところで、敦賀から大体車で2時間半くらいのところです。いわゆる僻村ですね、もう超僻村なんですが、地元の人は「われわれのところは地の果てなんだ」というふうに言っております。純漁村で、ほとんど漁村として何百年も生きてきたところです。1漁家あたりの水揚げ高、漁業の収入・所得というのは、平均で300万円を切っています。ところが実際の収入を見た場合に、これが大体平均して1500万円ぐらい、多い漁家は3000万円ぐらいあります。それでは、地域の人々は一体どういう形で所得をあげているのかというと、これは一にも二にも漁家民宿、観光対応ですね。
 私が特に調査した常神という村は、47戸の世帯があって、そのうち漁業関係者は40くらいですが、そのうちの大体30近くが漁家民宿を営んでいます。他は、観光お土産店とか喫茶店とかレストラン、あるいは遊漁観光船業などを行っています。ここは、外部資本は一切入っておりません。地域住民が担い手になって、海の資源をフルに生かした新しい生業が展開されています。漁業から観光業への生業転換が起きているわけです。
 もう一つ例をあげたいと思いますが、隣の徳島県牟岐町です。ここは2年前にダイビング案内業をスタートさせたばかりです。柏島に遅れて十数年ということになりますけれども、ただその事業の進め方が柏島とは大きく異なっています。というのは、そこでは外部業者と提携を行っているのですが、事業主体はあくまでも漁協ですね。漁協と町がタイアップして事業推進の中核となって、海面利用のルールというものをきちっと作りあげています。利益配分では、漁業者であればどなたでもこの事業から利益を受けるチャンスがありますよと、非常に公平なルールが作られています。利益配分の仕組みというのは結果平等ではないけれど、機会というものを皆さんに提供するという意味で、機会の平等というルールをつくっております。地域の皆さんがそれに納得しております。現在、非常に事業は順調に進んでおりますし、町の活性化、地域振興の起爆剤になるのではないかと、大きな期待が寄せられています。
 このような、外部業者と連携しながら、環境と秩序に配慮した取り組みの事例は他にもあります。例えば、和歌山県「ノアすさみ」とか静岡県の伊東とか、神奈川県の城ヶ島とか、さらには沖縄の「海の学校」など、事例は多くあります。
 私はこういう新しい消費者ニーズをとらえて、海という資源をフルに使って展開される地域の人々の生業というものを「海業」と呼んでおります。もちろんその海業の形というのは、今申し上げた事例だけではありません。非常に多様な形があり得ます。ホエールウオッチングというのももちろん海業的なものだと思います。重要なのは、地域の人々が担い手になることです。もちろん、外部資本あるいは観光業者を拒否するということを意味してはおりません。提携するなり協力するなり、色々なかかわり方というものがありますけれども、担い手はあくまでも地域住民・漁業者ですね。そういうところを強調したいと思います。
 地域住民・漁業者あるいは地域住民参加の「海業」にこだわる理由を挙げてみたいと思います。
 第一は、第一義的に今不振に喘いでいる漁家経営の改善、所得の向上につながるということ。これはこれ以上いわなくてもわかることだろうと思います。
 第二は利用秩序の維持、つまり人と環境とのルール作りが容易になるということです。先ほど申し上げましたこのルール作りをきちっと行う、その執行を、地域住民が担い手になることで容易になるということですね。ルールを作るというのは、ある意味では非常に簡単ですが、難しいのはこのルールを、みんなが如何に守るか、あるいは如何に守らせるか、つまり執行という問題です。このルール作りあるいは執行という意味で、地域住民が主体になる方がやりやすいのではないかなという気がします。
 新しい資源、新しいビジネスチャンス、それを開発するというのはどなたでも可能なんです。ところが皆さんが全員参加して、あるいは、そこから何がしかの利益を得られるようなルール作りというのは、非常に難しいですよね。皆さんご存知の「村八分」という言葉、あるいは「共詮議」というような言葉もあるそうですけれども、「共に監視しあう」「共に守りあう」というようなことが、日本の地域社会の中にはまだ生きています。そういう意味で、ルール作りを地域住民がやることによって、執行が容易に進むのではないかなという気がいたします。「旅の恥はかき捨て」、という言葉がありますね。旅先では監視のルール、つまり監視の目がないわけですから、やりたいことをやるわけですよね。ところが同じこと地元でやると、地域の人々の目が気になって旅先でかき捨てたものは「恥」と感じられてしまうものです。地域住民主体のルール作りは、まさにお互いの目がルールを守らせる役割をはたすのではと思います。それは、人と海との調和的関係を形成する一つの枠組みになり得るのではないかという期待がもてます。
 次、三番目ですが、利益配分における社会的公正さの保持です。経済的弱者を生み出さない機会の平等を保証するような地域社会の倫理が存在すると思われます。外部業者による開発は結局のところ、利益は外部にもって行かれ、地域の人々は観光公害のみを受ける羽目となるケースは多々あります。

4 海業の意義
 海業を強調することはいま申し上げたルール作り・執行というだけでなくて、国民経済的にも非常に大切な意義があると私は思います。
 一つは国民に真の豊かさというものを提供することができる。国民のニーズに応えているわけですから、当然といえば当然でしょう。
 二番目は、海や漁村が持つ潜在的資源を有効に活用することができる。これは資源とは何ぞやという話にも通じます。漁業の場合はあくまでも魚を捕って食べて食料として消費する、つまり食料として、というのが資源の形ですよね。漁業法ではそれを「有用水産動植物」というふうに規定するわけですけれども、海業では少し違ってきます。例えば、熱帯魚なんていうのは漁業にとっては邪魔者で、資源でもなんでも内ですよね。カラフルで非常にいいけれども、獲って網からはずすのに毒があって手間がかかるから。でもダイビング観光業にしてみればこれは一番大きな資源となるのです。先ほど多様性という言葉が出ましたが、この場合多様性こそが資源であり、豊かさとなります。
 もう一つ例を挙げますと、波というものがあります。従来漁業にとって波というのは天然災害以外の何ものでもない。だから行政ではあちこちで消波ブロック、消波堤をつくって波を殺していく。ところがサーファーにとってみれば、波の高いところこそ豊かな海なんですよね。高知にも東洋町というところがありますけれど、関西ではそれがサーフィンのメッカになっています。そういうような資源の見方、資源を見る際の発想の転換というのが起きるわけです。
 三番目は、地域振興・地域活性化への役割です。これは自明のことかもしれません。
 四番目は、新しい生業の創出による産業構造の変革ですね。冒頭に「ペティ・クラークの法則」と申し上げましたけれども、われわれは海業を振興することによって、ペティ・クラークの法則という呪縛から脱出することがもしかしたら可能ではないかという気がいたします。その点についてまた後で話をします。
 五点目は、地域社会の維持・再生です。海業の振興によって過疎化、後継者不足と高齢化が進む地域社会を、維持・再生する役割という機能が期待できます。つまり地域住民・漁業者が海業を行うことによって、そこに経営的魅力というのが生まれ出てくる。経営的魅力が生まれてくると、後継者が住みつく。人々が住みつくことによって、彼らは漁業の担い手にもなるわけですね。
 六点目は、食料安全保障に果たす役割です。食料自給率をいかに高めていくか、あるいは食料安全保障をいかに実現させるかというのは国策です。ところが、食料の自給率というのはある意味ではわれわれがいじることはほとんど不可能に近いことです。大事なのは、むしろ食料供給力の維持です。日本漁業は近い将来漁業の担い手が半減し、国内漁業の供給力が半減するという危機的状況にあります。仮に効率的な大規模漁家や企業的漁業が残ったとしても、それが国民の食料安全保障を保障してくれるとは限りません。漁業者が担い手となる海業を振興することで、漁村地域に魅力的な業を起こし、いつでも漁業の担い手となりうる後継者を地域に残しておくことが、食料供給力の確保という意味において、最大の食料安全保障対策となるのではないだろうかと思います。

5 海業と環境教育
 最後になりますが、海業の振興によって、二人の「弱者」を生み出さないことを申し上げました。それは紛れもなく、人と海との新たな調和的関係を形成することを意味します。ところが、環境を維持することは、実は海業が成立する前提条件になるのですね。その意味で海業と環境というのは、相互依存関係にあるのです。
 先ほどのペティ・クラークの法則に戻りまして、漁業と海業の違いをはっきりさせたいと思います。漁業は資源を利用する、もちろん管理も行いますけれども、基本的には利用する産業です。海業はどうなのかというと、それは資源を維持し、環境というものを維持する産業となります。生物環境・自然環境・文化・アメニティ環境、これが維持されなければ海業は成り立たちません。海の汚いところや資源のないところには、多分お客さんは来てくれません。そういう意味で海業にとって環境は非常に大事になってくると思います。
 このような海業と環境との相互依存関係を保つためにはどうしたらいいのでしょうか。一番求められてくるのは「環境についていかに教育していくか」と「人材をいかに育成していくか」、の2点になろうかと思います。海業というのは新しい産業であり、漁業者・地域住民にとっては「獲ること」から「売ること」、それから「サービスする」ことへの転換、言いかえれば一種のパラダイムの転換に他なりません。従って、当面はそれを担う技術、ノウハウを習得する必要があります。そのための人材育成・教育プログラムというものが求められます。
 この二つに果たす、大学あるいは行政の役割はきわめて重要だろうと思いますが、その具体につきましては、これからのパネルディスカッションにお任せしたいと思います。
 限られた20分の時間の中で、どれだけ問題提起になったかはわかりませんが、報告を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

司会:ありがとうございました。只今の基調報告を受けまして、これよりパネルディスカッションに入らせていただきます。
 その前に、山本有二・衆議院議員より電報を頂戴しておりますので紹介させていただきます。
 「『土佐の海の環境学シンポジウム』が開催されるにあたり、皆様方の平素よりの献身的な諸活動に対しまして、衷心より敬意と感謝の意を表します」。
 それではパネルディスカッションに移りたいと思います。パネリストの方々をアイウエオ順で紹介させていただきます。高知県立坂本龍馬記念館館長・小椋克己さん。黒潮実感センター設立委員会事務局長・神田優さん。大月町長・柴岡邦男さん。高知県知事・橋本大二郎さん。高知大学学長・山本晉平さん。以上5名のパネリストの方々を中心に議論を始めさせていただきます。コーディネーターは深見公雄先生です。それでは深見先生よろしくお願いいたします。


パネリスト

深見:それでは只今からパネルディスカッションを始めたいと思います。まず、ここに各方面でご活躍中の5人のパネリストの方にお越しいただきましたので、それぞれ一人ずつ約5分お話をしていただきたいと思います。今回はアイウエオ順でなく、私の指名の順番でお話しいただきたいと思います。まず神田さんに、先ほどからたびたびお話が出ています柏島での黒潮実感センター、彼は事務局長としてずっとかかわってこられたわけですが、その黒潮実感センターというものをまだよくご存知ない方もいらっしゃると思いますので、その取り組み内容について簡単にご説明いただきたいと思います。

神田:神田です。ご紹介に預かりました黒潮実感センターですけれども、私、大月町柏島に、島を丸ごと自然の博物館にしようということで、高知県初の海のフィールドミュージアムとしましての黒潮実感センターというものをつくろうと、4年前に柏島の方に渡りまして活動しております。実感センターという名前だけは聞いたことがあるという方がいらっしゃると思いますが、なかなかその内容が多岐に渡っておりまして、理解しにくいという声も多々聞きます。
 基本的には、島を丸ごと博物館にするということで、私が実感センターとして目指すべきところは、環境保全なわけですね。で、ただ闇雲に環境保全、環境保全と叫んでも仕方がない。つまり実感センターには大きく三つの目的があります。一つ目としまして、私は魚類の研究者ではありますが、私だけでなく多くの研究者が柏島における調査研究を行う際の拠点施設として位置づけ、そこでの成果等をわかりやすい形で地域住民の方々や県民、そして全国の方に還元していこうと。そういうことで島を再発見できるようにしていきたいと思っています。このような研究を、さらに次世代を担う子どもたちを中心に環境教育を、そして一般の方々も含めました生涯学習に役立てていこうというところが一つ目の狙いであります。
 そういった研究・教育のほかに、島の環境を守っていくためには当然先ほどお話がありましたように、地域に住んでおります島民あるいは大月町民が経済的に安定する、少しでも豊かになるということが大事になってくるわけです。豊かな自然があるからこそ豊かな自分たちの生活が成り立つんだという思いになっていただくために、いろんな地域おこしのようなことを提案させてもらい、実践しています。また、そういった活動を環境保全の方に結びつけていきたいと思っております。
 そういう黒潮実感センターですけれども、なかなかおわかりにならない方、まだまだおられると思います。ホームページも開設しておりますし、入り口のところでお配りしましたパンフレットにも実感センターの紹介があります。是非こちらの方も見ていただきまして、ご理解いただきたいというふうに思います。

深見:どうもありがとうございました。黒潮実感センターはご存知のように、高知県大月町に設立されようとしているわけですけれども、次は柴岡町長に、大月町の政策における黒潮実感センターの位置付けについて簡単にご説明をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。


柴岡町長

柴岡:紹介をいただきました大月町長の柴岡でございます。まず大月町の政策の一環として実感センターの位置付けということですが、私、平成10年8月に町長に就任したわけでございますが、漁業振興を図りながら、観光・環境立町としてどのような町づくりをしていくかということが、最大の課題であったわけでございます。皆さんもご承知のように大月町は、足摺宇和海国立公園の非常に豊かな自然環境に恵まれた地域でございます。釣り客、近年はスキューバダイビング等で、漁業者とレジャー産業業者とのバッティングというものが数多くあった。そのルール作りが行政の課題であったわけでございます。
 私も地域の振興を図るために、その実践の場としての柏島につきましては、非常に魅力的な土壌であると考えておったわけであります。しかし先ほど申し上げましたように、環境との共存による漁業振興をどう図っていくかということは、私に課せられた大きな行政課題であり、大月町が直面している行政課題でもあったわけであります。
 黒潮実感センターの役割は、先ほど神田先生からも説明がございましたように、地域に根ざした学術研究と生涯学習のサポート、この地域振興への一役と、それと環境保全という三つの柱があるわけでございます。私、神田先生と、まあ4年目でございますので同期生ということで、この黒潮実感センターの構想をお聞きして、知事さんもおいでになるわけでございますが高知県全体をフィールドミュージアムにしたいという構想、そして私の大月町全体をフィールドにしたいという構想、そして神田先生の柏島をフィールドとしたミュージアム構想というのが非常にマッチいたしまして、全面的な支援のもとで神田先生と実感センターの立ち上げを支持、そして今設立委員長も務めておるわけでございます。
 私の持論といたしまして、この地域社会、確かに先ほどのルール作りとかいろんなものがございまして、非常に閉塞した状態が続いておりました。と申しますのは、人と人との関係というものを鑑みた場合、地域社会においてルール作りをする場合にどうしてもコーディネーターがいるという感を受けたわけでございます。そのコーディネーター役として学術的な知識もございます、実感センター、特に神田先生の役割というものは大きなものであろうというふうに今も思っておりますし、当時からずっと思い続けてきたわけであります。
 非常に混迷しております。地域社会におきましても、いろんな形で、一次産業を取り巻く状況の厳しさ、いろんな産業がどんどん入ってくる中で、私が持論にしておるわけでございますが、地域社会でその問題がなかなか解決できないと、コーディネートしてもらう方、すなわち若者であり、いい意味での馬鹿者であり、そしてよそ者である方が、私は大月町にどうしても必要ではないかと考えておりました。まさしく神田先生がこれは若者の次に馬鹿者が付きまして、よそ者が付くような方でございまして、共に実感センターという形でやっておるわけでございます。
 3年間経ち情報発信等、非常に成果を見ておるわけでございます。特に共通した課題でございます環境問題につきましては、後ほども述べたいと思いますが、一つコーディネーターとしての役割を果たしていただいているんではないかと、認知もしており期待もしておるところでございます。今後とも実感センターのことをよろしくお願い申し上げまして、私の一言といたします。

深見:どうもありがとうございました。次にもう少しその行政の枠を広げて、県というレベルからお話をいただきたいと思います。橋本知事に高知県としての環境行政についての報告、中でも海にかかわる政策についてお話をしていただきたいんですけれども、先ほどちょっとお話が出ました、知事の公約の一つになっています県下全体をフィールドミュージアムにするという構想の、進捗状況なども踏まえてお話をいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

橋本:皆さんこんにちは。今日は、何か来週レポートがあるという話でしたので、レポートを書くときのヒントになるような話でもできればなと思って来たんですが、丁度1週間前から花粉症が始まりましたし、風邪も引いてやや調子が悪くなりましたので、十分考える時間がなく来てしまいました。だからあんまりヒントにならないんじゃないかと思いながらお話をしますが。
 さっき婁先生のお話を聞いていて、全く僕の考え方と同じだなと思いました。で、今、海に関しての環境問題にどう、というご質問があって、それにこう狭い意味での環境という趣旨から端的な答えにはなりませんけれども、高知県の場合には数年前に、それまで海のことを担当していた部局は水産局という名前でしたけれども、海洋局という名前に変えました。その趣旨は、まさに先ほど婁先生が言われたように、狭い意味での水産業だけを担当するのではなくて、「海業」を担当できる局をつくっていこうという趣旨でした。で、海洋局ということを言いましたときにも、当時漁業者の方、水産関係の方から「県は水産業がどんどん衰退しているので水産業を捨てようとするのか」というようなご批判をいただきました。けれども決してそういう意味ではありません。これからも漁業というのはとても大切な産業だと思います。けれども、海から魚を捕って売るというだけではなく、もっともっと広く海というものは活用できるのではないか、また漁業そのものが、例えば観光の資源などとしてもっともっと使えるのではないか、そのことをみんなで考えていこうという趣旨で海洋局というものをつくりました。で、これまでならば必ず商工政策の方で担当したであろう海洋深層水の活用の政策なども、全部海洋局で担当しておりますし、従来のように漁港をつくって漁協に対して補助金を出すというだけの仕事ではなくて、もっと別の視点からの海の活用、ホエールウオッチングのことなんかもそうですし、さまざまなことに取り組んで参りました。
 狭い意味での環境ということではないですけれども、僕はやっぱり海洋局をつくって、海というものをこれまでの狭い視点ではなくてもっと広い視点で考えようと呼びかけていることが、県にとっての大きな、海の環境を考える政策ではなかったかと思います。先ほど婁先生は、自然環境と秩序という言い方をされましたが、私は環境という言葉を使ってしまえば、環境と秩序という分け方もできるし、自然環境と社会環境という分け方もできると思うんです。で、これからは海というものを、単に自然環境の面だけではなくて、社会環境の面でどう捉えてルール作りしていくかというのは、大きな課題ではないかと思っています。
 フィールドミュージアムというのも海だけではありませんが、まさに今申し上げましたように、これまでの狭い意味での水産漁業という視点ではなくて、もっと海というものを全体的に、婁先生のお話でいえば海業的に活用する、その一つの視点としてフィールドミュージアムというものを提唱しています。高知県には例えば室戸市の方に、古代からの地質の変化、地層がそのまま見えるような地域もございます。室戸のかたがウンウンと頷いて今メモを取っておられますけれども。それから有名な魚梁瀬の天然杉の林もございます。また四万十川、その流域のいろんな自然がありますし、さらに今日のテーマでございます柏島の海中環境等があります。こういう素晴らしいフィールド、自然があるわけですけれど、それに対していちいち従来の公共事業的な箱ものをつくっていく、博物館をつくっていくというのは、とても財政的にも無理ですし、またそういうことをしても、本当に人が来てくれて学ぶ場所になっていかないのではないか。それよりも、せっかくある自然をそのまま活かして、さっき神田さんは島を丸ごと博物館にと言われましたが、まさにそういう視点で、あるものを活かしてそれを博物館に見立てて、みんなが学べるような、また楽しめるような仕組みをそこに作っていくことはできないか、という趣旨で申し上げたのがフィールドミュージアムでございます。
 その進展の具合はどうかということですけれども、なかなか悩んで、今苦しんでいます。その一つの大きな理由は何かと言いますと、フィールドミュージアムをやろうと言った時に、どちらかというと自然科学を大切にしようという研究者系統の方々と、どちらかというと多くの方に来ていただく仕掛けを考えようという方々が、まあ対立すると言うと語弊があるかもしれませんが、意見がなかなかまとまらずに、議論がいつまでも続くという状態があります。そのために少し足ぶみをしているというのが現状ではないかと思います。
 私は先ほど婁先生の言われた海業というふうな視点から考えれば、今申し上げたような考え方の違いというのは決して対立ではなくて、その中に自然科学的な学び、それをみんなに伝えていくという機能と、そしてその機能を楽しむために多くの人に来ていただくという仕組みを、いかに一緒に作っていくか。そのことはそれほど難しいことではないと思いますので、是非そうした二つの機能があいまったフィールドミュージアムというものをこの高知県に、柏島の黒潮実感センターというのもその一つですし、そういうものをいくつか立ち上げていって、それがネットワークとして結ばれるようになればいいなというふうに思っています。とりあえず以上です。

深見:どうもありがとうございました。さて、環境行政の話が続いたわけですけれども、本日のシンポジウムのもう一つの柱であります環境教育の方の話題が必要です。われわれ高知大学はもちろん研究教育機関の一つでありますが、この高知県における高知大学がこれまでどのように環境教育を実施してきたのか、あるいは今しているのか、これからどういうふうにしようとしているのかということを、山本学長にコメントいただきたいと思います。よろしくお願いします。

山本:それでは、頭から環境の話をすると少し複雑になりますので、現在、高知大学の中で一体どのような研究教育を、特にこの柏島、それから海というものを取り上げているか、という組織的な話から始めます。ご存知の通り高知大学の中には、理学部、人文学部、教育学部、農学部とあります。この中で特に理学部は、新しく組織変えをしましたけれども、その中でもやはり一つ残っているのは、旧制の高知高等学校以来の魚の研究であります。これは蒲原稔治という先生がおられまして、旧制高校の先生です。その頃から現在まで三代の教授が魚の研究を続けて、現在40万匹以上の魚を保有しております。これは今、後でも述べます21世紀プロジェクトの中で取り上げておりますので、近いうちにインターネット等々でご覧になることができると思います。海といえばその魚ともう一つは、私の前の前の学長でありました中内(光昭)先生のホヤの研究、これも二代続いております。
 このように理学部の中では、生物を対象とした一つの流れ、それからもう一つは、いろんな海の生物の遺伝子であるとか、そういう生化学的な流れ、もう一つは、これは海の底の研究、特に地質だとか、最近は海洋コアという新しい研究施設が昨年できました。思い出される方がおられるかもわかりませんが、先週18日には、その海洋コアのサンプルを採る船の進水式が岡山県でありました。ちなみに、サイズとしては戦艦大和の7万トンほどはいきませんけども6万トン、長さが210m、ほぼ戦艦大和と同じで、高知新港には、ぎりぎり入るか入らないか、それくらい大きい船です。これで海の底の、地球ができた時からの歴史を研究しようというグループがあります。
 それから農学部の方はいわゆる栽培漁業、つくる漁業、それからその海の環境を守っていく海洋環境工学というふうなグループがあります。そして、これは橋本知事さんに色々お世話になりましたけれども、室戸岬の海洋深層水研究所と高知大学の連携大学院というのをつくって、海洋深層水の新しい研究が今、着々と進んでおります。
 海に関係する研究、もうひと方、教育学部にカツオの研究をされておられた方があります。経済的な面ですが、残念ながら愛媛大学の方に移られました。が、まだその研究のいろんな素材は残っておりますので、われわれは何とか継承していきたいと思っております。今ひとつ、土佐市の宇佐に海洋生物教育研究センターというのがあります。これは、日本国中の大学からも参加して、海の生物のいろんな実験をやっております。さらにここでは国際協力事業団とともに、国際的に栽培漁業の新しい指導者を養成していく、そういう役目も担っております。
 3年前に高知大学は50周年を迎えました。その中で私たちは、21世紀プロジェクトと題しまして、海洋高知の可能性を探る、こういう大きいプロジェクトで今、大きく申しますと5つのプロジェクトが流れております。歴史的なもの、あるいは先ほど申しました魚だとか、四万十川流域における環境保全型の森林作業、こういうものを取り上げております。もちろん先ほど申しました海洋深層水の研究もあります。それから、室戸岬の沖の方にある南海トラフ、いわゆる地震震源の研究、そういうものを総合して、海洋高知の可能性を探る研究が続いております。おそらく5月には高知市内で中間報告をさせていただきます。
 こういうふうにして、全体としては海洋高知を守っていく、そしてその新しい可能性を探っていくという方向で進んでおります。話を環境の方に返しますと、先ほどの組織の中で、すべて環境がわれわれの周りにあるわけですから、先ほどの理学部、農学部、教育学部の研究すべてが環境にかかわっております。私の前の学長はダイオキシン等々で有名な立川(涼)先生で、世界中の農薬汚染、環境汚染の研究で著名な先生でありました。今もいろんな点でわれわれをバックアップしていただいております。
 こういう中で私たちは、環境を考える時に、新しい21世紀に育って、21世紀の環境を守っていく、あるいは20世紀に残された負の遺産を清算していく、そういう若者を育てていく立場であります。
 私たちの方から発信をして、それを神田さんのような仲介者を経て、高知県、柏島、そういうところに返していって、また高知県、あるいは柏島の皆様方は、われわれにいろんな材料を提供していただきたい。冒頭の挨拶で申しましたように、平成13年の環境白書では「環の国」、いわゆるサークルですね、そういうふうに私たちも発信をしますし、色々なものを高知県の方から送っていただきたい。その中で新しいものを見出し、そして負の遺産を清算しつつ、新世紀に向かっていきたい、こう考えております。

深見:どうもありがとうございました。これまでお話しいただいた方々は、直接・間接的にも行政、あるいは研究、教育の立場の方でした。行政と市民を結びつけるのは、ある意味ではマスコミの役目だと思います。また、大学等の研究と市民との接点というものは、例えば博物館のようなものでありましょう。ご存知のように、龍馬記念館の小椋館長さんは、長くマスコミと博物館の両方にかかわってこられています。そういうお立場から、町、県、あるいは大学の取り組みについて、コメントがいただけたらと思います。宜しくお願いします。


小椋館長

小椋:なぜか私だけがちょっと異色と言うか、異端と言いますか、はずれと言いますか、そういう立場で来ておりまして、このテーマで私が何をお話しすれば一番フィットするのかなと思うんですが。おそらくフィットしないだろうと思いますが。パネリストに選ばれてどうすればいいかというのを私が後輩にどう言っているかというと、とにかく何を当てられてもそれだけは答えられるものを三つばかり用意しておけと。「ま、ちょっと問題からはずれますが」と言ってそれを言えば何とか責任は免れるから、非常の場合にはそうしておけと後輩にも随分言いました。さあ今日自分がやってみて、こりゃ難しいなと思います。
 坂本龍馬記念館という立場ですので、やはり博物館、箱ものの博物館の立場で一応ものを申し上げますと、知事さんのお話の中に、公共的な箱ものはなかなか経費もかかるし大変だ、それで、自然というものを箱ものに見立てて、というお話がありました。私もそう思います。見立てたのは、一番高知県ではどこが早いかというと、大方町ですね。「私たちの町には美術館がありません。前に広がる砂浜が美術館です」。まあ見事なもんですね。そういうアイデアを持ってるいい人たちが、冗談を言いながら集まってやってるわけですから、これは私の非常に好きな、感性でもって町おこしをやってる、おそらく唯一ではないかという例なんです。ですからもう、これだけは言えよということの中には必ずこれが入ってくるんで、また出たかになりますが、これを言ってしまうと後のネタがなくなりますので、ちょっと置いといて、坂本龍馬に戻しますけども。
 龍馬と海というのはどんな関連があるだろうか。龍馬はやっぱり海を見て、それは少し物語的になりますけれども、将来への夢を育んだということ。そしてもう一つは、海を舞台にして、いろんな人たちをつなぎ合わせた。つまり一衣帯水という言葉がありますが、龍馬は薩摩、長州は言うに及ばず、福井であり、京都であり、江戸であり、いろんなところの人と結び合って、たった一人で脱藩をしたんですが亡くなる時には、明治時代の新聞で大きな活字になるような人の大半と話をし、ただ名前を知ってるだけではなくて、実際にやっていくべきことを相談したりしたわけです。それは何だったかと言いますと、海をつないだ、海をうんと狭くしていった、彼のフットワークなんですね。海を狭くしたのは一体何だったろうか。それは船です。つまり彼は、船というその当時ジェット機並みのスピードを持っていた一番速い交通手段でもって海を利用して、人と人とをつないでいったと思います。
 それからもう一つは、やはり海の資源というものに非常に注目していまして、できれば蝦夷に行きたいといった気持ちをずっと持ち続けて。これもまた後でお話をするんですけれども、新しい国を開くのは自分一生の思い出にしたい。ライフワークにしたい。それで、一人になってもそれをやりたいと言ったその裏には、やはり北海道などの豊富な海産物、水産資源といったものを、かなり頭に描いていたように思います。彼には才谷屋の分家という経済的な生い立ちのバックがありますので、やはりそういう感覚がDNA的に彼の体の中にあるだろうと思いますが、それが十分に考え方の中には生きていると思うんですね。すべてが完結したかというと、未完成のまま終わりましたが、新しい国のつくり方を定める入り口までサイコロを振った、というのが龍馬です。
 それをテーマというかモチーフにしている坂本龍馬記念館を、一体どういう切り口で運営していったらいいのかというのが、箱ものを預かったときの私の考えというか、一つのテーマだったわけですね。箱ものを預かって満10年になり、この間10周年が終わったばかりですけども、さあ一体、龍馬というのをどういうふうに皆さんにつないでいったらいいんだろう。実は、最初は全く歴史的資料も何もありませんでしたので、恥ずかしい話ですが私の女房が見に来まして「たったこればー」と言って帰りました。ま、それぐらいなかったわけですが、それなら開き直ってどうすればいいか。龍馬の内面を見せるものがあるだろうと。
 歴史資料というのは、つまり、功成り名遂げた人の書やそういうものではなくてね、彼の内面を見せるものでなければならない。それには手紙がある。たった5年の間ですけども龍馬は百三十数通の手紙を書いている。それを皆さんに読んでもらえたら。これは、司馬遼太郎さんがその手紙のことを「精神の肉声」というふうに表現してらっしゃいましたが、まさにその通りです。心の声もあるし、物理的に耳に龍馬の声が達するような書き方で、語りかけるような書き方で、手紙を書いています。これだ。これでもって龍馬を知ってもらおうと。コピーばっかり並べるわけにはいきませんから、もう少しお金のかかるレプリカをつくる。あわよくば本物を寄贈していただければいただくということで、現在、本物が4通、レプリカが21通、これは知事さんが予算書にハンコを押していただいたからできたわけですけども、おかげさまで揃いました。この数は日本で一番多い。展示しているのは15点から16点ぐらいありますから、これも企画展を除いて常時展示している数では日本で一番多い。それに現代訳までつけて、つまり続け字を活字に直して、候文でも読めるけれども、その下に現代訳をつけて読んでいただけるようにしています。ですから普通の博物館ですと、龍馬の手紙、何年何月、誰あてという、探さないと見えないような札が掛かっていますが、それでは龍馬の書だと。龍馬の手紙として見せるには、その中に書かれているものをきちんと読んでもらえるようにしよう、という考えでずっとやってきて、「龍馬への入り口」というサブタイトルをつけました。「これから龍馬へ入ってください」というわけです。
 まだまだこれは整理の途中ですけれども、若い方が立ち止まって、まだあの人読んでるよ、というぐらい一生懸命読んでくださって、私が館長とも知らないで、出て行く時にその横を通りながら「いやあ面白かった、また来ようね」。これはお世辞ではない、本当に面白かったんだなと思いました。龍馬の手紙ってそれくらい値打ちがあるんですけども、そう言ってくれるのを聞くと大変嬉しいです。この話をすると、だんだん龍馬の方へのめってしまいますからこの辺で置きます。
 もう一つ大事な、龍馬記念館には環境があります。モチーフとしては龍馬、そのモチーフは龍馬の手紙で描くんですけども、置かれた環境は、幸い180度の太平洋が丸みをもって見える場所にある。これを売らなければいけない。ここで話はやっと海に来ましたが、海の利用方法は、本当に皆様に害を及ぼさずに、毎日毎日、時々刻々変わる海を見ながら、そこから大方町ではありませんがいろんなものを見立てたり、連想したりしていくこと。これがうちの記念館のもう一つの大きい目玉だと思うんです。だから、これも龍馬への入り口だ。昨日も案内しながら「ここの海の景色の見える一番南の端へ来なかったら、400円の入館料の8割は損するから、絶対そこだけは見て帰ってくださいね」。「だけは」とは言いません、資料も見て帰れと言いますけども。本当に海の景色は8割方、龍馬記念館の値打ちだと思っています。
 少しも魚の話に触れませんでしたが、私のやれるのはこの辺です。

深見:どうもありがとうございました。これで一通り5人のパネリストの方々にご発言をいただきました。今のお話をうかがっていますと、1回目ということで、それぞれのお立場についてお話しいただいたと、自己紹介がてらというふうに私は理解しました。これからいよいよ問題を絞って、皆さんとともに考えディスカッションしていきたいと思います。まず、また柏島の環境について話を戻していきたいと思うんですけれども、柴岡町長さんにちょっとおうかがいしたいんですが、町長さんは先ほどもお話がありましたように、黒潮実感センター設立委員会の会長さんでもあられます。で、このお立場から実感センターというものに町としては何を期待されるのか、先ほど柏島の周辺では漁業とダイビングのバッティングがあって、そのルール作りをするためにはコーディネーターが必要であると。で、そのコーディネーター的な役目をするのが黒潮実感センターかな、というふうに私は理解したのですが、そのあたり、町として黒潮実感センターに何を期待されるのかということについて、お話をしていただきたいと思います。

柴岡:先ほども申し上げましたように、実感センターの三つの柱という中で、学術研究・生涯学習、それと環境保全、地域振興の一翼を担うということがあるわけでございますけれども、地域振興の一翼を担うということにつきましては、やはりわれわれ行政が果たすべき役割ではないかなあというふうに思っております。
 実感センターの役割というのはあくまで私は、どう言いますか、我々いろんな形で地域社会において、海の問題だけでなく、バッティングしている問題はかなりあるわけでございます。今まで実感センターを通じて各種セミナー等もたくさんやってきました。それは決して観光産業に基づいたことばかりではないわけでございます。漁業振興問題、そして海のルール作り、すなわち人文・自然・社会科学というような方面からすべて、高知大学の先生方も通じ、実感センタ?を主体とした講習等も重ねきたわけでございますので、今後も実感センターの果たす役割というのは私は、その辺でとどめておきたいなあというふうに思っております。
 町の活性化政策というのは、本町の場合、一次産業の町であるわけでございますので、観光と環境というものを、今日は土佐の海、特に柏島の海という問題ですが、われわれのところには素晴らしい海だけじゃなくて、山も含めたロケーションがあるわけでございます。そういうものを含めた大月町全体をフィールドとした観光産業の立ち上げ、もちろんそれは、一次産業との共存ということで私はやっておりますので、その辺少し神田先生と意見が違うわけでございますけれども。いずれにしてもコーディネート役と、そして我々がわかり得ない部分、高知大学そして愛媛大学の先生方の知識を乞う中で、一つのルール作りをしていきたいなあというふうに考えております。

深見:その黒潮実感センターの計画が立ち上がった時からずっと神田さんがかかわっておられるわけです。今度は神田さんにちょっとお話をお願いしたいんですけども、実感センター側にいる神田さんとしては、町・県あるいは高知大学というところに何を期待されるのか、あるいは逆に黒潮実感センターはどのような面で、町・県・大学というものに貢献できるとお考えでしょうか。


神田事務局長

神田:実感センターが、町や県といった行政あるいは大学といったところに何を期待するかというところにまず第一点は絞られると思いますが、私は4年前から柏島に出向きまして、色々と活動してきました。その主なところから言いますと、地域の子どもたちあるいは地元の人たちに、地元の素晴らしさを知ってもらおうというところで、私が持っている「学」の部分でそれをわかりやすく提供することによって、地域の素晴らしさを実感してもらう、これが一つでした。それで、期待するものとしましては、そういった環境教育とか地域振興、ルール作り、いろんなものをやってきましたけれども、先ほど町長がおっしゃられたように地域でのいろんな問題点があることを私は存じていまして、それがあるから最初そこ(海のルール作り)に取りかかったわけです。けれども、本来黒潮実感センターというものは、最初にお話ししました通り、海のフィールドミュージアムなわけです。地域の住民のいろんな、ダイビングだとか漁業だとか釣りだとかのトラブルを解決するような役目では本来なかったはずです。しかし私は、柏島を愛して高知の方から移り住んだわけですが、実感センターをつくるにあたっては、地域がゴタゴタした状況であってはなかなかフィールドミュージアムだとか環境保全というものは受け入れられないし、つくったところで土台がガタガタしていると非常に不安定なものになってしまうと。ですから当初そういった漁業とレジャーとの間に入っていろんな調整役も果たしてきました。
 しかし、これが成功したというふうに私はまだ思っておりません。というのは本来私はそこの専門ではないわけです。私の専門としますのは、海洋生物の研究、あるいは教育の方です。ですから今後、そういった地域振興とか、もめ事のコーディネートにかかわってはいきますけれども、私ひとりの手には負えないところは、実感センターの考え方に賛同して来てくださっているいろんな大学の先生あるいは民間の人たちのお力を借りるなかで、総合的な形でコーディネートしていくように、町がやろうとしているところをお手伝いしていくのはやぶさかでないというか、やっていきたいと思ってます。しかし、本来私が専門としているところに、やはりできれば十分な力を発揮したいと思います。そうすることによってさらに環境教育だとか環境保全といったところが開花するんじゃないかというふうに思います。
 次に、逆に何を行政あるいは大学に望むかという点ですが、4年間やってきたいろんな実績を、手前味噌ではありますが、高く評価してくださっている方もいらっしゃいます。黒潮実感センター設立委員会は名前の上では設立委員会の段階ですが、実感センターがすべきそのものの業務を今までやってきたわけですけれども、これは私という人間がどういったことができるかということをまず皆さんに知ってもらって、特に行政や地域の人に知ってもらった中で、黒潮実感センターの設立を支援していただきたいと。その中で私はもっとどんどん得意な分野で活動していきたいと思っているわけです。
 先ほどの最初の話ですが、島を丸ごと博物館にという考えで実感センターをやっておりますが、しかしながら核となる施設は当然やはり必要だと思います。何もないところでは、なかなか十分な力が発揮できないのも当然ですので、私たちがやってる活動に理解を示していただき、これが今後の大月町あるいは高知県にとってプラスになるんだというふうな理解をしていただけるんであれば、そういった拠点のようなものもできたらお願いしたいと思います。
 実感センターは、今年中にNPOとして立ち上げようと思ってます。NPOというのは、官があり学があり民があり、その真ん中に位置するものだと思っています。ですから中立な立場で、そして官が民に、あるいは学が民に、まあその逆がありますが、それが直接できないところをNPOとしてその間に入って、いろんなそういう意味でのコーディネートをしていく、というような位置付けとして実感センターはやっていきたいと思っています。以上です。

深見:その色々なトラブルがあるというのは、原因の大きな部分を占めているのはこの場合は環境問題なわけですが、環境というものをどれくらいのスパンで、時間的な流れで見るかっていうことが大きくなってくると思います。つまり、環境を保護することは重要だけれども、10年も20年も先のこと考えてられない、今すぐ生活に困ってる。だから、長い目で環境を見ることが重要なのは重々わかるけれども、なかなかそこまで手が回らない、気が回らないという部分があると思います。で、その時に多分、行政やわれわれ大学の役割というのは、住民あるいは大学でいうと学生さんに、環境というものの本質と、そしてそれを守ることと、守ることによっていろんなしわ寄せが来る部分もあるでしょう、そういうところの真の姿を理解してもらう、つまり教育する啓蒙するっていう部分がかなり重要な役割を占めると思います。
 そういう意味で、橋本知事さんにコメントしていただきたいんですけれども、県としてそういう、このシンポジウムは海ですから漁村地域あるいは、そういう環境保全にかかわる人たちの教育に対するサポートみたいなものは何か具体的なアイデア、あるいはおつもりがございますでしょうか。


橋本知事

橋本:今話してることが、このシンポジウムの多分核心ではないかと僕は思うんです。で、多分高知大学の深見先生なり神田さんと、私や柴岡さんとの間のずれの核心ではないかと思うんです。一番大切なとこではないかと思います。
 今の質問は狭くなってますので、もう少し広い範囲でお答えというか僕の考えを言います。一つは、トラブルは環境の問題だということを言われました。広く捉えればまさにそうだと思います。10年先20年先のことまでなかなか考えられない、もっと目先の生活をどうするんだということ、このぶつかり合いだというのはあります。ありますけれども僕はそれだけが今話されてる問題の壁ではないと思うんですけれども。
 で、僕は壁はですね、地域の方々にきちんとやっぱり理解をしていただくようなノウハウを持っておられるかどうか、これ神田さんを責めてるわけじゃありませんし、深見さんを責めてるわけじゃありません。やはりそれを自分たちがもし十分に持ってないのであれば、どういう仲間をつくっていくかということを私はしていかないと、そういうことをやる人を育てるために県が何かしてくれますかと、いきなり言ってもですね、その範囲だけでは何も物事は解決しないと、僕は思うんですね。
 で、10年20年先のことを考えるために何をしていくか、ということは県としては当然考えなければいけませんし、そういう視点で環境政策というのは全体的に進めているつもりです。で、例えば海の環境、漁村というお話がありましたけれども、漁村とか海だけで環境は語れるものではありませんね。川なり森なりということをつなげて考えていかなければ、県の環境というものは考えられないだろうと思います。
 有名な畠山重篤さんという「森は海の恋人」という本を書いた方がいます。東北の唐桑町(宮城県)というところで、漁業をやってる方ですけれども、漁業が豊かになるためには海が豊かにならなければいけない、そのためには、プランクトンなどが非常に豊富な海、水質にしていかないといけないし、その水質を保つためには川をきれいにしなきゃいけない、そのためには川の水質も水量ももっともっと昔の良い川に戻す、そのために森林を育てていかない限り海は元に戻らないということから、森づくりを全国的に働きかけて運動されてる方です。今、四万十大使にもなっていただいて、四万十にもよく来ていただいています。
 四万十、四万十と言うと、なぜ高知県は四万十のことばっかりやるんだと、他にも県内には良い川があるじゃないかと、こういうご批判を受けます。これはそもそもやはり四万十というのは全国ブランドになった川ですから、四万十をモデルにいろんな取り組みをしていけば、国も関心を持っていろんな事業に取り組んでくれる。また、全国から多くの方の関心も得られるということがありました。これと同じように四万十という川が一つの舞台だと考えれば、その四万十の川を横に、県内の川にも同じようなやり方を広げていけると思いますし、縦の関係で森や海の環境を考えるということにも、私は四万十を焦点に当ててずーっとやってきたことは、必ず生きてくるだろうと思うんです。
 で、四万十の川でまず水質ということからいえば、そこに流れ込む支流の水質を良くしなきゃいけないということで、四万十川方式というふうないろんな水質浄化の方式を、大学の研究者とも一緒になって取り組んできました。森林に関しても、森林を良くしていかなければ水質も、また水の量も戻らないのではないかと、そういうことから今、国際的に持続可能な森林経営の認証を受けるFSCという森林認証を梼原町だとか何箇所かで受けて、そういうものを県内にも広げていこうとしています。つまりそういう事業に取り組んでいくこと、これはもう10年20年で結果が出るかどうかわかりません。さらに今そういうことを進めるために取り組もうとしている水源かん養税なども、これも5年10年で結果が出るものではないと思います。効果っていうのは20年30年先だろうと、そういう事業に取り組んでいくのが私たちのもともとの仕事です。で、それを具体的に科学的な面でサポートしてくれるのは大学の皆さん、研究者の方々です。けれどもそれだけでは今日話題になった海業を、本当に海業として地域に根ざすことはできないんですね。
 つまり今日のテーマ、「大学と県の役割」って書いてあるんですよね。大学と県だけでできるともし思っておられるんだったら、それが思い上がりではないかなと僕は思うんです。大学や県は大切なセクションです。大切な部分ですけれども、それだけではなくて、やっぱり地域を動かしていく人、そのノウハウが必要で、それができてないことが今全国的に海業というものがなかなか前に進まない最大の原因ではないかなと。そういう意味での人づくりというのは僕は行政の役割だと思うんですが、直接行政がそのことに関心を持っている研究者だけを育てていっても、そこを支援しても、ちょっと言いましたけれども今抱えているフィールドミュージアムでも、またこの海業の問題でもそうですが、そういうものを広げていく壁を突き破ることはできないんではないかなと僕は思ってます。

深見:その大学の役目というのは、むしろ私は行政が環境問題について啓蒙するよりは、学生さんというのはもっと身近な存在なわけですから、ある意味では大学の役割が非常に重要ではないかと考えております。私たちはこの高知大学の授業科目として、色々な環境に関係する授業科目を担当して、学生さんにいろんな問題意識を持ってもらうべく教育を行っているつもりではいるんですけれども。
 婁先生にちょっとおうかがいしたいと思うんですけど、先ほどの基調報告のお話、私は非常に興味深く聞かせていただいたんですが、婁さんが色々な地元に行かれて話を聞かれて事例を調査されたときに、学生さんはどうされているんですか。ほとんど連れて行かないんですか。一人で行かれるんですか。

:これはかなりケースバイケースなんですけど、先ほど二つの例を挙げましたが、牟岐町の場合は、これは私自身が学生の時に調査のフィールドにしていましたので、14、15年、年に何回も行くところで、ほとんど一人で行くんです。三方町はどうやって発見したかというと、これは三十数名の学生を連れて実習した経緯があってですね。
 昔、近畿大学に勤めておりまして、そこの方針は毎年3年生をつれて、どこかへ漁家調査に入るんですが、調査地はほとんど学生に任せます。どこに行きたいかは要望取って。で、たまたま5、6年前の夏休みに、福井県に行きたいということで。じゃあ行きましょうと。行くのはいいけど、三方町は調査の前にいくらデータを調べても、漁家らしい漁家が一つもないんですよ。所得は低いし心配になって、はたしてそこに行って漁家調査になるのかなと。で、各方面、県庁にも電話したら、皆さん返ってきた答えは同じで、あんなところに漁家調査に行っても意味がないと。交通は不便だし漁家らしい漁家もないし、やめましょうと言われて、心配だなあと思ったんです。でもまあ、しょうがないから行きましょうと。うちの調査というのはほとんど飛び込み営業なんですよ。一切紹介もなく挨拶もなく、学生が漁業者の家を訪ねて「すみませんがこういう者で」、われわれの紹介状を持って「調査をさせてください」と。中には、ちょうどオウム真理教とか色々あって、宗教関係者とかセールス関係者と思われて追い出された学生もいるんですけど。
 ところが、何はともあれ実際に調べてアンケートを取って、上がってみたらですね、何のことはない、皆さん所得高いじゃないですか。それはビックリしたんですよね。そこが私、海業ということのスタートでした。その点では学生も非常にビックリしましたし、私も非常にこう、一種のショックを受けたというか、漁家経営というのは、これはちょっと考え直さないといけないかな、ということで海業という言葉を、そういう研究を始めたという経緯があります。

深見:海業という概念は、先ほどおっしゃいましたけど、海というものを持続的にずっと利用していこうと。しかも、それを多方面からということですよね。では持続可能でない海の利用法というのを考えた場合に、例えば漁業だと乱獲による資源の枯渇とか、養殖をする場合だと環境悪化とかがあるでしょうし、あるいは海洋レジャーという面から見た場合、ゴミ問題とか汚染・汚濁というものが考えられるんですけど、なぜそういう持続不可能な状況になってしまうのかということを、神田さん、何かご意見ございませんか。

神田:十分な答えになるかわかりませんけど、私の考えを述べさせていただきますと、最初漁業が、特に柏島の場合非常に好調であった時期がありました。多くの水揚げや漁獲高があったときは、遊漁船や磯釣り渡船なんかが入ってきても、まあ渡船はちょっとありましたけども、それほど問題視しない。自分たちの暮らしがしっかり回っているから。しかし自分たちの漁獲が下がってきて、そして後から来たレジャーというものが、レジャーはレジャーで一生懸命努力して伸びてきたんですが、その中で、その所得に格差が出てきたというところで、確執が起きてきたというのが一つにはあるんじゃないかと思いますけれども。
 それとやはりもう一つは、何事についてもそうですけど、漁業にしましても、例えば柏島では昔モジャコが非常に捕れまして、その時ハマチ養殖全盛の頃があったわけですけれども、モジャコ捕り、あるいはハマチ養殖が金になるとなったら、みんながこぞって同じ事をやってしまう。そうしてそういったことだけをずっとやり切ってしまうところがあるんですね。逆に、例えばダイビングが今度は金になるとなったときには、初めは島民は気づかなかったわけです。ダイビングなんて、あんなもので飯が食えるはずがない、あれは遊びだと。しかしよそから来た人が、ダイビングガイドの技術を身につけて、人を連れてガイドするというスタイルを確立してやっていくと、全国から多くのダイバーが来てお金が落ちだした。そしたら、これやったらえいやいかと。やっぱり、金になるということはもちろん非常に大事なわけですけども、やはりトータルとして、全体が見られないところがあると思うんですね。我も我もと一気にやってしまうという、やり切ってしまうみたいなところが、僕は持続可能でない、今のあり方じゃないかなと思うわけです。

深見:近視眼的という言葉ですかね。

神田:ええ、だと思います。やはりもちろん、私も貧乏ですけども、みんなお金は大切です。しかしやはり、特に柏島の話をしますけども、周囲4kmの小さい島の周りに豊かなサンゴがあるとはいっても、そこにどっと多くの人が集まってきたら、そこできちっとしたルールが作られてなければ、過剰サービスによって環境がすごいストレスを与えられ、傷んでしまう。そこがだめになってしまう。そしたら次の、また別の漁業というか産業に移る。そういう繰り返しなのかなと。柏島の今までのそういう漁業の変遷を、まあ、僕は実際に見てきたわけではない、聞いただけですけれども、その中では、ものすごい豊かな環境であるが故に、何かをやってこれがだめになったら次にこれがある、だめになったらこれがあるというのが、10年ないし20年スパンで繰り返されてきたような経緯があるようです。そして今、ダイビングというのは本来そこから物を搾取するわけではないので、究極の漁業というか、観光漁業ですね。環境をきちっと整備して保全さえすれば、ずっと永続的に持続できるようなスタイルであるはずなんですけども、そこもやっぱり、環境をつぶしてしまっては元も子もない。環境がだめになった時には、次にもちろん漁業に返ることは到底できない。というふうに思いますし、それにはやっぱり、行政もかんだ中で、もう少し遠くを見られる、展望が見られる中での一歩という、そういう意味でのコーディネートをできる人たちが必要なんじゃないかと思います。

深見:それが必要なのは皆さんのだれもが感じてられることであり、そうでないという人はいないと思うんですけど、実際にはどういうふうにこういう人たちを育成していくか、どこがその役目を担っていけばいいんでしょうか。どなたかご発言ありますでしょうか。

柴岡:先ほどから述べておりますけどもコーディネート役とか、いろんな形のものは確かに一つのキーワードにはなるわけですけども、最終的にはわれわれ受け入れる側の行政、というよりも地域住民だと私は思っております。主人公は住民にならないといけない。
 柏島の問題が今日は論議されているんですけども、柏島に限らず我々のところは、東海岸・西海岸という大月町全体を取り巻く海のロケーションというもの、海の中も含めて素晴らしいものがあるんですけど、漁業者にとって海は生活の場であるわけですね。そして、観光業者、釣り業者、そして今何かと物議を醸しておりますダイビング業者というのは、海はみんなのものという認識があります。しかし、私は環境保全というキーワードにおいては、同じではないかなという気がいたします。
 婁先生が海業という提案もなさっておりましたが、あれは漁業の段階的な、漁業がステップアップすることによっての海業という言葉だと認識をしたわけでございますが、われわれ住民が、環境保全というものが共存のキーワードであると認識をしない限り、これはなかなか解決を図れないんじゃないかという意味で、行政が果たすべき役割というよりも、私は住民が果たす役割じゃないかと思っております。特にわれわれのところ、海に対する環境問題、意識を持って取り組むというのは、知事も先ほどおっしゃっていたように、自然環境の問題、山をつくり川をつくりというようなことから抜本的に考えなければいけない部分と、そうやってそのすべての自然を守っていくという問題については、時間がかかっても、学校教育部門における子どもたちへの環境学習の導入等々を図っていかなければいけないんじゃないかと。そうして、われわれももちろん自制しなければならないんですけども、自分たちが、われわれのところの住民もすべて、柏島に限らず非常に恵まれた自然を持っている住民たち、そこに住まわれている方々というのは、恵まれているとか豊かさというものは、あまり実感してないですよね。その実感していない部分というものを外的要因で喚起さすこと。外的要因というのは、交流人口とか、スキューバダイビングに来られる方もそうですし、いろんな先生方もそうですけど、外的要因で喚起することによって、相関的な関係を保ちながら、先ほどキーワードであるという環境保全に努めること。そして最終的には、われわれ地域住民運動、そして大月町の住民運動というような形に持っていかない限り、私は抜本的な解決策はないんじゃないかなと。
 一つひとつ、いろんな形でやっております。実際に目先のことは、ダイビングの問題も、懸案でございましたダイビング事業組合の立ち上げとかいうのも、今日は柏島の方も来ておりますけれども、いろんな政策は一つひとつやっておるんですけども、抜本的には、地域住民が環境を守るんだというような意識改革をやらない限り難しいんじゃないかと思っております。

深見:私は高知県の出身でないんですけれども、高知県というのは非常に自然が豊かでありますし、山の幸・海の幸には恵まれていると思うわけですね。ところが、今、町長さんのお話にもありましたけど、案外、高知県の地元の人たちは自分たちが持っている環境の良さ、自然の良さ、あるいは自然からの恵みというものに対して、気づいていないといったらおかしいですけど、過小評価しているんじゃないかという部分があると思うんですね。
 それで、環境を持続的に守る、引くんじゃなくて、環境をむしろ積極的に利用していくという意味で、そういう宝を持っているんだけど、それをうまく利用していない、あまり意識していないという部分について考えてみたいと思います。小椋館長さんはマスコミに長いこと身を置いておられて、いろんな取材を通じて、いわゆる一次産業と、それを売る、あるいは宣伝する三次産業というものがうまく融合した例を、先ほど大方町の話が出ましたけども、ちょっと紹介をしていただけたらと思うんですけれど。

小椋:大月町ではなく大方町の話なんですけど、申し訳ありません。一つのたとえになればと思います。美術館がないというのは一つの、逆手に取るという意味なんですが、美術館がないと言われて、美術館を造らなきゃ恥ずかしいという役場の方がいらっしゃると聞いて僕はがっかりしました。砂浜を美術館に見たててそこにさまざまなアートを感性で演出することこそがこのことばの意味なのに、どう見ても「建物」としか見えないものから何の夢が出るというのでしょう。そういう、そこに住んでいらっしゃる方の価値観の問題というのが出ました。住んでいらっしゃる方は毎日毎日見慣れてらっしゃるけれども、よその方から見るとこんなに見えるんですよ、実はその中にいろんなものがあるんですよという、10年以上前にできた砂浜美術館のコンセプトを書いたリーフレットなんですが、実に素晴らしいことを書いてある。素晴らしいことだけでは、シャレの言い合いみたいなことになってしまうんですけども、実はこの見立てるということの中に、「実業」が関係してるわけですね。
 例えば、漂流物展というのをやるとしますと、海洋環境の汚染、あるいは漂流物が無責任に捨てられている、どんなものが落ちてるだろう、打ち上げられてるだろう、ということから、人々のマナー、モラルが問えます。それから松林をわたる風の音を聞いて、保安林をちゃんと大切にしなければいけないと思う。それから、ラッキョウの花見、あるいは「くじらッキョ」の販売というのが、農業の実業につながっています。それをシャレて、ラッキョウは花が咲くんだよ、花が咲いたら花見をしてこんなんだよという段階から農業を知るということで、いわゆる「実業」とちゃんとからめているんですね。砂浜に応募者が思い思いに描いた絵をプリントした1000枚もの白いTシャツを飾って「Tシャツアート展」というのをやりますけれども、全国から参加して大方町を認識してもらう。1000枚のTシャツを飾ったから漁業が盛んになるというわけじゃないんだけれども、そういう良い環境があるということをよその人に知ってもらうと同時に、みんながこんなに関心を寄せているということを、地元の方もそれから客観的に認識するという効果はあると思うんですね。美術館がないのに、前の海を見立てて美術館だというのは詐欺だ、などと極端なことを言う人がいますが、それは無茶な話で、何をか言わんやです。
 裸足のマラソンをやって、健康をやる。ホエールウオッチングをして、漁業をやる。ホエールウオッチングは、一人がいいことをして一人が儲けるというんじゃなくて、組合でちゃんと管理をして、みんなの共同経営ということでやっているはずです。もうこの話は10年以上前の話ですので、いささか旧聞になりますが、それでも、それが続いているということは、やはりコンセプトがしっかりしており、行政ももちろんバックアップはしているでしょうけれども、砂浜美術館の学芸員と称するサポーターの皆さん、あるいは地域住民の理解者たちが、それを支えているというのは間違いのないことだと思います。
 黒潮実感センターも、印刷物をたくさん見せていただきまして、なかなか情報発信をしていらっしゃるなと感心しました。平成10年ぐらいから、ついこの間までの新聞記事がよく整理されていました。やっぱり、自分のやっていることを何かの方法でPRすると時には、マスコミを上手に使ってほしい。ただ「やってるよ」じゃなくて、このことについて、こういうイベントをやるのでお願いするとか。よき理解者とのチームワークみたいなものを取り上げていただいたらどうだろうとか。今日は元われわれの仲間もいますので、マスコミのことを自分勝手に言うのも何ですけど、やはりマスコミが「行ってみたいな」というアプローチをすることですね。観光客もそうですけど、マスコミも行ってみたいなと、そんなに苦労している人がいたら、そういう問題で町がこんなにバックアップしているなら、ぜひニュースとして取り上げたいな、あるいは、取り上げることによって、みんなの賛同を広めたいなということですね。
 お隣の中村にはトンボ自然公園てのがありますが、これは杉村さんという方が、ほんとに十何歳の頃から頑張ってたことなんです。熱心な方ですから、熱心のあまり色々トラブルはあります。行政側とのトラブルもあるようですけれども、それでも世界が認める、日本中が認める、あるいは世界の学者たちが来る行事をやって、「こんな素晴らしいところはないんだ」とみんなが言ってくれる中で、中村の方々も、やはり価値観が変わってきています、こんなに良いところがあるっていう価値観の問題と、努力している人たちのことを認めながら、自らもボランティアとしてその作業に従事するというようなことが実際にあります。
 だから、やはりこれは長く続けなければいけないし、「ただ黙って」というのはだめで、その節々で情報発信をしながら、その情報に助けられてまたそれをエコーさせながら広めていくということ。それから、よその方の参加あるいは地域の住民の方々の参加という、実際に手を触れるということ、実際に行ってみるということにつながれば大変ありがたいことです。その「中持ち」をするのがマスコミの役目でしょう。どうぞマスコミを上手に利用してください。いっぺん利用すると利用した方は後には引けませんから、それもはげみにつなげて欲しいと思います。

深見:ありがとうございました。さて、そういう地元のことを考えた場合、われわれ高知大学もこれから色々、独立行政法人化が進められていく中で、やはり地元とお互いに協力しあっていかなければならないのは当然のことです。そこで高知大学と高知県を見た場合に、例えば海の環境を見た場合に、東の海洋深層水のように栄養があり色々と有効利用ができる海と、西の柏島をはじめとしたきれいな海、という二つの地理的な資源が高知県にはあるわけです。それから、神田さんがやられているような黒潮実感センター、これはいわば人的な組織・資源と考えてもいいと思います。こういう地理的な資源、そして組織的・人的資源を高知大学はいかにこれから活用していくかということが、われわれ高知大学にとっても重要なことでありますし、それはフィードバックすれば、県あるいは地元にとっても重要なことだと思います。その辺の舵取りは、やはり学長の役目だと思うのですけれども、山本学長、その辺のところはいかがでしょうか。

山本:舵取りといえば、大学の方は独立行政法人化を2年後に控えて大変な時なんですが、それはさておき、今皆さんのお話を聞いていますと「環境を守る」という言葉が非常にたくさん出てきて、何か消極的な気が私はしております。むしろより良い環境をつくっていくんだ、という積極的な姿勢を持っていただきたいし、私たち高知大学としてもそういう「守る」姿勢ではなくて、「つくる」という、いい言葉が思い出せないのですが、フィードバックという話ではなく、フィードフォワード、未来を現在の中に取り入れて、そして新しいものをつくっていく、そういう人間を私たちは育てていきたいと、私は思っております。
 これからの21世紀の中でよく言われるのは循環型の持続可能な社会というのをどのようにつくっていくか、これは二つの面からつくっていけると思います。一つは教育の面からつくることもできるし、研究の面からもつくることができると思っております。教育の面からというのはいわゆる人づくりであります。研究の面は自然を改良していく、あるいは負の遺産であれば直していくという二つの側面からやっていきます。けれども、私はあくまでも大学というのは基本としては人づくりが必要である、そのために環境を上手にきちんとつかまえるような人間、こういう学生を養っていきたい。では、どんな方法があるかというと、具体的にすぐ答えは今のところ出てまいりませんけれども、少し考えさせていただきたい部分もあります。
 少しひるがえって、環境を守っていく、つくっていくとよく言いますが、その環境を守るというのはいくつか方法があると思います。一つは法律で守ってしまうという方法。一つは教育の力によって守っていく方法。あるいは地域社会で管理をしながら守っていく方法という、三つの管理方法があると考えております。いわゆる大学の役目とういうのは、先ほども言いましたようにあくまでも教育の力、これを力強くつくっていくということになるわけです。そこでいろんな学生を育てていきたいと考えておりますが、いわゆる環境をよくわかっている学生、その個人個人が育っていっても、それはやはりその隣にいる行政であるとか、企業、あるいは民間の非営利団体、神田さんがやられているような黒潮実感センター、こういうものが同じレベルに立って、そしてお互いに手をつないで話し合いながら進んでいかないと、この環境というものをわれわれは真正面から捉えることはできないと思っております。
 ですから、ただわれわれは一生懸命良い環境のための教育をし、そして現在の環境がどうなっているのかということをしっかりと研究の面から把握して皆さんに知らせていきますけれども、これはやはり最近言われている「環境コミュニケーション」という言葉があるんですが、この持続可能な社会の発展に向かって、個人と行政と企業と民間の非営利団体、こういうものが各々の主体性を守りながら、お互いのパートナーシップをしっかりと結んでいき、そして今までの環境の負荷であるとか、あるいは環境保全型の活動に関することを一緒に同じ立場で理解していくということが大事なんです。そういうふうに横並びに並べる学生をこれからつくっていきたい。そのためには先ほど申しましたフィードフォワード、未来を現在の中に取り入れてやっていくという学生をつくっていきたい。そして高知県のあるいは日本の環境を維持し、発展させていきたいと考えております。

深見:どうもありがとうございました。持続的な資源の活用ということをするためには、やはり状況をよく知っている人、しかもそれが一人とか二人とか一部の人でなくて、先ほど大月町長さんから「主役は住民だ」というお話がありましたけれども、住民一人ひとりがそういう意識を持たれるということが重要であることは間違いないと思います。ではそういう意識を持っていただくためのプロセスを考えた場合に、このシンポジウムは「大学と県の役割」というサブタイトルをつけましたが、先ほど知事が、大学と県の役割は重要であるのは間違いないけれどもそれだけではだめだとおっしゃいました。やはり住民の方たちの問題意識があって、それをもっとよく知って、まあ勉強するということでしょうけれども、そしてその一部分を県とか大学の役割がそれをサポートするということになるんでしょうけれども。しかし、やはりそこでまた元に戻ってしまうんですが、住民の方がそういう意識を持つためのきっかけというものが一体どこにあるのかというのが私自身よくわからないんです。例えば、大学であれば学生に授業を聴かせてそういう問題意識を起こさせるというのができるんでしょうが、では一般の住民の方にどうしたらいいのかというのが私はよくわからないんです。そのあたりは橋本知事さん何かお考えがございますでしょうか。

橋本:特段の考えがあるわけではないんですけれども、最初に婁先生が環境と秩序という言い方をされたのに対して、同じ意味で自然環境と社会環境というふうにも言えるのではないかということを申し上げました。環境と秩序という分け方にあえて反論するという意味では全くございませんけれども、今日のタイトルが「土佐の海の環境学」となっています、その意味から同じ環境という言葉を使って秩序という言葉を言い表せれば、社会環境という言葉になるのではないかと思いました。というのは何かというと、「土佐の海の環境学」と言ったとき、社会人の方ももちろん多くいらっしゃいますが、学生さんはやっぱり海の水質だとかそういう従来からの自然環境の範囲で環境学という言葉を捉えられるのではないかと思います。しかし、本当の意味で婁先生の言われる海業なり、新しい漁業などの振興という意味での動きを起こすのであれば、これはもう自然環境の環境学だけ勉強しても何も動かない。何も動かないというのはちょっと言い過ぎですけれども、自分の中でしか動かない。やっぱりその周囲を取り込んで社会的な動きを起こすためには、社会環境学としての環境学というものを学んでいかなければならない。どうやってこれまでのみんなの考え方を変えていくか、やっぱりそのことを勉強していかなければできないだろうということを思います。
 この柏島もその一例だと思いますけれども、さっきは森林の例を挙げました。森林も従来は、川べりにある森林から山の頂にあるところまで、全く同じ森林として維持管理をするという政策が取られていました。それではとてもいろんな意味でやっていけない時代になりましたので、それをいくつかにゾーニングをしていって、ほんとに山の方はツキノワグマなり何なりにお任せをして、そしてもう少し下のところは健康林として私たちが行って楽しむようなところにしていく、さらに下で経済的にどうにかやっていけるところは経済林として従来からの森林管理をしていく、というようないくつかのゾーニングをしていこうということを今取りかかっています。これもそれぞれ国有林・県有林だけではなくて、民有林としてそれを持っておられる地主の方があちこちにおられて、それぞれの思いが違うわけです。そういう方々の中には、なぜ私のところは経済林からはずされてしまうのか、またなぜ私のところは??というようないろんな意見が出てくると思います。そういうものをきちっと理解をしながら、その場合にはどういう対応策を考えていったらいいかという社会環境づくりをしないと、森林をもう一度見直すということもなかなか動き出さないという面があります。
 同じく、僕は柏島という場所でフィールドミュージアム・黒潮実感センターを始めるということは素晴らしいことだと思うし、さっきは少し辛口の言い方をしましたけれど、是非神田さんに頑張ってもらって、これを本当に地域を巻き込んだ大きな取り組みにしてほしいと思うんです。
 今、深見先生から、大学は学生に授業を聴かせることはできるけれどもそこから何ができるだろうというお話がありました。今日も学生さんもいっぱいおられます。またこの間うかがったら、この環境学をやったために柏島のファンも増えたということを聞きました。だとすれば学生さんたちが一度柏島のすべての家を回って皆さんの声を、何を考えて、何に不満があって、また実感センターというものに距離感を感じているならばどこに距離感を感じているのだろうということを一度話し合ってみたらどうでしょうか。そんなに戸数があるわけではありません、200か300戸ぐらいではないかと思いますので、何人か手分けをして回ればほんとに何日かでできる。夏休みを使えば十分できる仕事です。そうやって一つの地域に絞り込んでフィールドワークをして、そこで、これまでの実感センターの思いと地域の人の受け止め方にどういうずれがあるか、またさっき町長さんが言われたような、ダイビングが儲かるなというような思いの方、それで民宿をつくられたような方々と、そうではない地域の方の間にどういうずれがあって、それと実感センターがどんな関係があるのかということを、きちっとフィールドワークとして調べていく。そういう社会環境を学んでいく、社会環境をつくるための努力をしていくということが、僕は一番肝心なことではないかと。それが高知大学なら絶対にできると思いますし、高知大学の学生さんだけでなくてもいいわけです、高校生も入っていい。そういう取り組みが一つ、一箇所で、例えば柏島でできれば、僕は神田さんももっともっと楽になると思う。
 僕は神田さんは今とてもある意味ではつらい状況ではないかと正直思います。いろんな壁に取り組まれ、そして先ほど神田さんがいみじくも言われたように、自分はやっぱり研究者として自分の専門の研究に関心を持ってくれる人、そういう人たちにきちっと対応して環境教育などをやっていきたいんだということを言われました。それはとても素晴らしいことだと思います。だけど、それだけでは実感センターは成功していかないのではないかと思いますし、海を研究の対象として捉え環境教育の対象としてのみ捉えていくのであれば、これは従来の、魚を捕る水産業の対象として海を捉えていたという、狭い見方と同じことを繰り返してしまう。もっとやはり広く、婁先生が言われた海業というような、婁先生の範囲がどこまであるのかわからないけれども、研究から、従来の水産業から、そして違う形での海の活かし方から、今の漁村の生活から、そういうものを幅広く考えた社会環境学としての柏島というものを、ぜひフィールドとしてやってほしい。
 そういう運動を学生さんが起こしていただければ、そこからまた新しい形のNPO運動が始まるでしょうし、そのNPO運動は柏島で終わらずに今、そういうことの一歩がなかなか踏み出せずに悩んでいる各地域で十分機能してくると僕は思います。それを支援していくことは行政としていくらでもやりますし、またそこに県の職員も入ってほしいというのであれば、今年は国体があるのでなかなか人が割けませんけれども、国体が終われば僕はそういう遊軍的な職員をつくっていくことは十分可能だと思いますから、1年2年それを専従でやれというような職員をつくっていくことも可能です。そういうような行政と大学と地域との、また学生さんとのかかわりができれば、僕は素晴らしいなと思います。

深見:大変有意義なお話をどうもありがとうございました。
 多少コーディネーターの進め方が悪くて話が色々飛んでしまっているという面はあったんですけれども、ここで会場の方々、多くの方々がいらっしゃってますが、これまでパネリストの方々がいろんなお話、議論をしてきた中で、ご意見・ご質問、あるいは疑問点などをお受けしたいと思います。どなたかご発言がございますでしょうか。

学生:高知大学農学部1回生の晄和也です。僕は「土佐の海の環境学」で初めて柏島のことを知って、その中で世界でも稀にみる生物の多様性についても知ったんですけれども、そこで柴岡大月町長と橋本高知県知事に二つの質問をさせていただきたいんですが、まず一つ目が、そういった柏島に対して、自然を守って活かすことについて金銭的な援助がなされているのか。またなされているのならいくらくらいなされているのか。そしてその額について、十分なされているとお思いなのかという点。二つ目はそういう多様性を持つ柏島に対して、これからほかの産業よりも、より保護していくためにもたくさんのお金を費やしていくべきであるかどうか、どう思われているのかという点を聞かせていただきたいと思います。あと、神田先生にお聞きしたいんですが、実際現場にいる神田先生にとって、県や町からの援助は十分なされているとお思いなのかどうか、お聞きしたいと思います。お願いします。

深見:最初の部分のご質問はなかなか生々しいお話で、知事さんも町長さんもなかなかお答えしにくいのではないかと思いますけれども。

橋本:僕は答えますよ。まず神田さんから。

神田:学生の立場で率直に意見を言ってくれたことに、非常に僕は感謝します。それで、やはりお金というのはいくらあったら十分で、いくらだったら十分でないということはまず言えませんが、お金はあるにこしたことはもちろんありません。しかしお金以外に、例えば私は、初め一人で初め柏島に入って実感センターを始めました。しかし、そこで一人で色々な活動をしている中で多くのサポーターができて、ボランティアができ、4年間たった今、友の会では約400人、ボランティアで本気で何とかしてやろうと言ってくれる人が数十人います。そういったものはお金には換算できないものだと思います。
 最初は無給でやってきました。しかし柴岡大月町長あるいは知事さんらにいろんな形の予算をつけていただいた中で、何とかかんとか4年間やって来れたわけです。4年間やって来れた中で、その額面以上の人が私についてくれたということが非常にありがたいことで、今後そういった人たちに支えられながら、まあお金のことについては十分でないことがあるかもしれませんが、死なない程度にこの活動を続けていければ。いろんなサポーターに援助していただき、そして先ほど知事からもお話がありましたように、地域住民にどうしたら理解していただけるかということについて、もっと一軒一軒回っていくという努力をすべきだと。もちろん今までそういうスタイルで来たわけですが、それがまだ足りなかったということがあるわけですね。情報を外へ出すことも一生懸命やった。地域への取り組みも当初一生懸命やった。しかし両方一緒にはなかなかできなかった。一人の人間の体ですから。そういうところのギャップが逆に、今の自分が厳しい状況に置かれているのかなというふうに思いますが、こういう人的財産をつくっていただいたことに対しては、私は非常に感謝していますし、今後もできる限りの支援はしていただきたいと思います。

深見:町長お願いします。

柴岡:生々しいお話をありがとうございます。先ほど「若者、馬鹿者、よそ者」論を申しましたけれども、まず、事をするについては人材ということで、われわれ財政的にも大変厳しい町でございますけれども、ちょうど今日は議会の方も3、4人ほどみえられてますけれども、議会の方なんかもすべて先ほど申し上げたことも申し上げません。社会環境学というようなことを知事からお話しいただいたわけですけれども、神田先生はこの3年間それなりによくやっていただいたなという気がいたします。と申しますのは、柏島というのを情報発信しながら色々な活動をし、このシンポジウムは2度目で、柏島で知事をお招きしてシンポジウムをしたこともあるわけですが、情報発信をしながら柏島というのを四万十に匹敵するくらいのステイタスのものにしていきたいということも、少しずつ私の政策的な思惑通りになっているのではないかなということで、財政的には私なりには一生懸命やってきたつもりでございます。
 これは際限がないことでございまして、晄君が小遣いがほしいのが際限がないというようなものと一緒で、持続不可能なものでございます。われわれとしてはこの財政難な時にこの3年間、共によくやってこれたなと、そしてその成果もかなりあったんではないかという気がいたします。これはほとんどの場合が県の単独事業でございます。私どもが取り組んだ事業といたしましては、われわれ一般財源でいえば2分の1出して県に2分の1補助費をいただくというような、知事が独自に打った活性化事業でやっているわけでございますが、この事業でやっていただきまして、3年間は先ほどの成果を見たと。
 しかしながら今後の実感センターを考えた場合に、やはり実感センターの住み分けというのも私は考えていかなければならないという気がいたしております。私どものところにはサンゴの研究所というものができております。財団法人としての黒潮生物研究所というのもできております。田舎暮らしという形で四万十楽舎というのも近くにあるわけです。そして実感センターとしての神田先生の試みというのもございます。町長といたしまして地域振興というのがやはり命題でございますので、こういうものをうまくリンクさせながら、大月町における実感センターのあり方というものも、今後見直ししながら再構築する時期に来たのではないかなと。そのステップアップしたものについて、また知事にお願いし、そしてプランニングしながら、県の担当にもお願いして、資金というものもふんだんにはつかないと思いますけれどもステップアップしただけのボリュームのものは、おそらく知事さんも受けてくれるのではないかと、今までの経過からしましてご期待を申し上げるところでございます。


神田事務局長      柴岡町長           橋本知事


橋本:僕からも。こういう質問が思い切ってできる若さが大変うらやましいなと思います。ご質問が柏島に対して金銭的なというのは、何を目的にしたものかということがもう一つわかりませんので何とも言えませんが、最初に生物の多様性の素晴らしさということを言われましたので、その生物の多様性の素晴らしさを守っていく、また活かしていくために十分なお金が投ぜられているかという趣旨だと思いますので、そういう趣旨でお答えします。
 一つは島民、柏島の地域の方の考えと、晄君の考えにずれがあるという意味ではないですけれども、やはり地域の住民の人と自分が、県なり町なりがこの柏島に金をつぎ込んでほしいと思っている対象が同じかどうかということを、一度是非確かめてみたらいいんではないかと思います。そんなにずれはないと思いますけれども、そういうことの中から、地域の住民と外からその地域のことを考えようという自分との、最初からのずれをなくしていくことが僕は一つのスタートになるんではないかと思います。今お話しになったような金銭的なということを言ったときに、地域の人はそれでは自分たちのところにどういう金銭的な援助をほしがっているのかというのと、自分だったらこうするというのと違いがあるかどうか、確かめられたらいいと思います。
 それで、生物の多様性を守るためというのは、僕はなかなかお金ではできることではないと思います。先ほどからお話があるようなダイビングや何かの人がいっぱい来る、それが乱開発と同じように言えば、そういう決まりがないまま非常に多くの方が来て荒らしてしまいかねない。これをどう社会環境的にちゃんと区分けをしていくかということが、今求められていることではないかなと。生物多様性を守るということでいえば。これは私はお金の面ではなくて、行政にできることは財政とそれから条例をつくるということですけれども、そういう条例をつくるというようなことを地域の人、または議員さん、町長さんなりが考えられるかどうか、その必要性を考えられるかどうかということではないかと思います。そのことの方が、生物の多様性を守っていくという意味では一番実効性のある、効果のあるやり方ではないかと。お金だけではなかなかできることではないのではないかと思います。

深見:ありがとうございました。学生さんから質問をいただきましたけれども、一般の方もかなり今回多く来られていると思います。高知県の県民の方、あるいは大月町の町民の方から例えば高知大学の方にご要望あるいは質問、コメントがあればいただきたいなと思いますが、いかがでしょう。

会場:坂本と申します。神田さんが立ち上げた頃からの友人の一人として、なかなか立ち上がらないことにいらだちとジレンマを色々感じながら質問をさせていただきますが。今回のこのシンポジウムには人文科学系の高知大学の先生方も随分と関与されたというふうに聞いていたんですけれども、では例えば海業を成立させるために、例えば実感センターをテーマにした時に、何が人文科学系からいえば課題なのか。海業を成り立たせるための自然環境としては非常に整っている。しかし知事がいう社会環境が整っていない。その原因はどのあたりにあって、どのような手法を使えば解決されるのか。もし今回のプロジェクトに関係された人文科学系の先生が何か手法がありましたらお願いしたいと思います。

深見:どうもありがとうございました。このタイトルの「土佐の海の環境学」の「環境学」という部分は今コメントがあり、それから先ほど高知県知事さんもおっしゃいましたように、決して自然科学の分野だけの環境学という意味ではありません。社会学・経済学・法律とそういうのを含めた環境学という意味でこの授業は行われました。そして今ご指摘がありましたように、私たち自然科学の研究をしている教官だけではなくて、法律や社会学等の人文系の先生も多くこの授業にかかわってきています。今のご質問にありましたように自然科学以外の面から社会科学の面からのこの授業の目的あるいはサポートといいましょうか、今後の展開の仕方といいますか、そういうところについてどなたか、婁先生よろしいですかね? 簡単にコメントいただければと思うんですけれども。

:なかなか難しい問題なんですが、先ほどの話で、ちょっとさかのぼりまして、ある海洋法学者が、海の問題っていうのは実は陸の問題なんだと。言わんとするところは、海の問題を解決するためには陸の問題というものを解決しなければだめですよと。まさしくその通りなんですよ。先ほど橋本知事が、社会環境学っていうのは大事だと、まさしくその通りだと思います。環境社会学っていう学問がありますけれども、社会環境学はまだないと思いますので、ぜひこれから誰かがやっていただきたいと。この中の学生諸君がですね。で、陸の上の問題、つまり人々の問題というふうになった時には、これはもちろん人と人との社会的関係っていうものもありますけれども、あともう一つ、人の意識の問題とか、その認識の問題なんですよね。
 先ほどの問題提起で、持続可能っていうのが何でならないかと考えた場合に、持続可能にしたくない、あるいは持続可能なんてどうでもいいと考えている人は、多分少ないと思うんですよね、世の中で。特に商売をやっている人、そこで飯を食っている人は、できることならば持続可能にしていきたいと思うんですよ。しかし持続できないっていうような社会的仕組みとか利用の仕組みというのを敷かれていく中で、それをどう変えていくのか。先ほど 海業というのが一つのあり方というふうに提起させてもらったんですが、柏島の事例をあてはめていきますと、じゃあ解決の方法は何なのかと考えた場合に、非常に難しいんですよね。なぜ難しいかというと、すでにそこに利害関係というか、利害関係者の衝突が起きてる段階ですね。それを解決するというのは並大抵の努力ではできないんですが、ただ一つ言えるのは、やはり意識を改革していく、意識を変えていく努力、あるいは、意識を変えていく努力のための合意形成ですね。そこがやっぱりどうしても必要なのかなあと。
 で、合意形成に果たす役割を行政に求めても、多分それは無理だろうと思いますから、その意味では黒潮実感センター、こういうコーディネーター的な役割を果たしてるその黒潮実感センターというのがこれから、こういうケースに向ける努力というのは大事になってくるのかなあという気がしますけれども。
 ただ残念ながらそれもなかなか、神田さん一人で手が回らないという状況の中で、大変だとは思いますが、地域住民を巻き込んだ合意形成というような努力を、これからやっぱり必要になっていくのかなというような気がいたします。
 ちょっと答えになってないかもしれませんが以上です。

橋本:ちょっとよろしいですか。

深見:はいどうぞ。

橋本:先ほど、学生さんたちが夏休みにでも回ったらどうだっていうお話をしたのは、学生さんの勉強になるということだけではなくて、いくつかのほかの意味もあります。その一つは、学生さんの場合はさっきの晄君のように、大人だったらなかなか言いにくい話をズバズバ言えます。で、言ってもちっともおかしくないです。そういう意味で、大人だとこの人の立場はこうだからといって、まず話を聞く前に構えてします。質問を用意してしまう。そうではない質問がどんどんできるのではないかってことが一つです。
 もう一つはですね、神田さんが全然地域を回っていないというふうに僕は申し上げたんじゃないんです。やっぱり何か取り組み、動きを起こす時には一人だけでやったんじゃだめなんですね。というのはなぜかっていうと、人間には相性があるからです。すべての人に相性の合う人っていうのは、めったにいません。やはり、考え方の正しさとかそういうこととは別にして、相性が合う合わないということがあります。何人かの人が手分けをしながら、相性の合う人のところに行ってそしてまとめあげていく、ということがないと、なかなか世の中は動きません。
 これは自分のマスコミの経験ですけれども、例えば政治部であれば、まあ小泉純一郎さんていう人がいますね。で、小泉さんとやっぱり相性の合う人を小泉さんの担当に回すわけです。それでいろんな情報をもらう。一方で小泉さんの悪口を書く担当者は悪口を書きまくるわけです。で、その相性の合う人は小泉さんのところに行って「やーもうあいつはけしからん奴でねえ、社でも嫌がられてるんですよ」っていうような話をしながら小泉さんから情報をもらい、一方ではもう小泉さんのそういうことでマスコミとしてのバランスを取り、そして今は社会をある一定の方向へという、まあマスコミとしての役割を果たすということになります。 同じようにこれからのNPО運動というのも、一つの考え方だけで、一人の思いだけでというのではなかなか動いてはいかない。ここまでの3年間は僕は、本当に神田さんの努力と思いでここまで来たって、お世辞で言ってんじゃないです、と思うし、僕たちも微々たるものだけども応援をしていきますと、これからもぜひ応援をしたいと思うけれども、これからこの次はやはり、もう少し違う相性の人間と手を組んで、手を広げてやっていくことが必要じゃないかなと。そういう意味で僕は学生さんたちに参加をしてもらえば、全然相性の違う学生さんがいっぱいいてね、また、島民の人たちとも違う相性でいろんなネットワークと情報が取れるんではないかというふうに思いました。

深見:どうもありがとうございました。1時間半にわたっていろんな話をしていただきましたけれども、時間が来てしまいました。もともとこういうテーマは非常に難しい問題でありますし、結論みたいなものが出るようなテーマでもないわけですけれども、いろんな立場からのいろんなお話を聞いて、それを自分なりにどう思うかということを考えることが、こういうシンポジウムの本来の目的であり意義であると思います。それで、なぜこういうシンポジウムを高知大学で一般の方をもお招きしてやったかということですけれども、やはりこれは高知県民の方に海というものに目を向けてもらうということもありましょうし、学生さんたちに大月町あるいは柏島、そういうところにいらっしゃる漁民の方の立場、状況というものを理解してもらうということもあったでしょう。
 こういうシンポジウムをすることによってわれわれ一人ひとりが、大学の人間、県の行政、町、そして地元の方たちが、問題がどこにあるのかということを共有して、これからどういうふうにやっていったらいいのかを機会あるごとに話していけるような場が、それこそ環境ですけれども、環境がつくれれば、これはわれわれ主催者として非常に嬉しいことであります。
 これからいろいろ厳しい状態になってくるわけですけれども、県と地元、町を含めた地元と、研究機関であります大学というものが今後有機的につながっていって、お互いに協力できるようなことを願って、本シンポジウムを一応のお開きにしたいと思います。お忙しい中をわざわざ集まっていただきました5人のパネリストの方にもう一度、最後に拍手をお願いいたします。
 どうもありがとうございました。コーディネーターの色々な不行き届きがありまして、話がなかなかまとまらなくて申し訳ございませんでした。これでシンポジウムを終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

司会:ありがとうございました。大変有意義な議論でございました。それでは最後に、柏島プロジェクト研究代表者の高知大学人文学部助教授・新保輝幸さんから、閉会のご挨拶をさせていただきます。

新保:高知大学人文学部社会経済学科の新保と申します。本日は雨で足元の悪い中、たくさんの皆さんにご来場いただきまして、ありがとうございました。ご来場いただきました皆様、有意義な議論を展開していただきましたパネリスト、コーディネーターの皆様、あるいは宣伝、取材によって協力いただきましたマスコミの方々、このシンポジウムの裏方として色々働いていただきました学生スタッフや大学のスタッフの人たちに対しまして、まず主催者を代表いたしましてお礼を申し上げたいと思います。また、女優の宮崎美子さんからお花をこのシンポジウムのためにいただいております。あわせて、御礼申し上げます。
 最後に、この研究プロジェクトを始めたきっかけみたいなお話をしてご挨拶に代えたいと思います。
 私が柏島に一番最初に来ましたのは、確か平成10年、神田さんが第1回海洋セミナーというものを柏島で開いた時です。何もわからないままで行ったんですが、単に自然環境が非常に素晴らしいという高知新聞の記事を見て参りました。ちょっと遊びがてらにという感じだったんですが、海洋セミナーに参加して、そこでいろんな人の議論、お話を聞いて、社会科学的にも非常に興味深い問題を抱えているなと、思いました。その時はそれだけの話だったんですが、だんだんといろんなことを知るにつれて、おそらくここの問題といいますのは、単に柏島だけの問題じゃなくて、広い範囲で意味を持つんではないかと気づいたわけです。神田さんは魚類の専門家ですし、私は経済学の出身なんですが、そのとき、高知大学のいろんな先生や、今回基調報告をしていただいた婁先生、いろんな人の顔が浮かんだわけです。もしその人たちと一緒に柏島という素晴らしいフィールドを研究すれば、非常に面白い研究になるのではないかというのが、その時考えたお話です。
 それで始めたわけですが、フィールドに入るにつれていろいろと大変な問題があるとわかってくる。知事さんの方から社会環境学の必要性というようなことをご指摘いただきましたけれど、社会科学の人間である私や三浦さん、婁さんなどがかかわっているのはまさにその点があるからです。いろんな学問分野の人間が、寄ってたかって環境について考えていくと。その過程で社会環境学のみならず、環境学みたいなやつが確立されていくんではないかと思います。私たちは研究者なので、地域、地元でいろんなものを研究させていただくわけですが、その過程で地域に対していろんなものを返していく、そういう姿勢が必要なんだと思うわけです。
 その時に私たちにできることというのは非常に限られていて、例えば問題の所在を明らかにすること、つまり、どういう問題があるのかというのを明らかにしてみんなに知ってもらい、いろんなことを考えてもらう、そういうきっかけを提供するに過ぎないわけです。可能な解決策とかいうことも提供できるかもしれませんが、それも単に理屈だけに終わる可能性も高いわけです。何人もの人間が協力してやって、それでもわからないことがたくさんあって、どういう解決策を示せばいいかというのもやっぱり非常に難しい。
 しかし、私たち、一人ひとりのできることは非常に小さいと思うんですが、これからも、柏島の問題、そこから広げて海の環境、あるいはもっと大きな環境問題について追究していきたいと思います。そして社会環境学のみならず、環境学みたいなものの確立に寄与していきたいと思いますので、またよろしくお願いいたします。

司会:最後に懇親会のお知らせをさせていただきたいんですが、19時、もう15分ぐらいしかございませんが、学生会館の2階におきまして懇親会を開きたいと思います。パネリストの方にも残っていただきますので、学生の皆さん、あるいはここにお集まりの一般の方々もできれば参加していただければと思います。大月町長の柴岡さんの方より、ブリを差し入れていただいております。非常に豪華な、われわれに過ぎた豪華な宴会になりそうですので、ぜひよろしければ皆さんいらしてください。それではどうも皆さんありがとうございました。


一般参加者