サンゴの産卵〜誕生と死

 1997年6月10日午後8:30、季節はずれの台風が接近する中を、僕は夜の海中にいた。
 僕のまわりではサンゴの産卵が始まり、海の中は赤い卵で一面に満たされていった。
 ちょうど同じ頃、僕にとって大切な親友が東京の病院で息をひきとった。

  サンゴの産卵は、カメラマンとして活動を始めたときからの課題だった。他の撮影との兼ね合いもあり、手を付けずに何年も過ぎてしまったが、この年いよいよトライすることにした。
 とは言っても、小笠原では産卵を撮影した人もいなければ、調査した人もいなかった。いったい何月何日の何時頃産むのか? それは本当に満月なのか? まったく検討もつかないのである。ただ、大規模な産卵の翌日は、海岸や港内に赤潮のように卵が漂い、生臭い臭いを発するので、それと分かる。いろいろな人に聞き取りをして、5月下旬〜6月上旬に二見湾奥のポイントを狙うことにした。スギエダミドリイシという枝状サンゴの大群落があるのだ。
 沖縄で何年間も観察している人によると、昼間のうちに前兆を察知することが出来るらしい。しかし経験がない僕にはそんな"離れ業"は出来ないので、とりあえず日没後の海に毎日入り待機することにした。
 はたして本当に結果が出せるのか?検討もつかない。不安な気持ちで夕暮れの海へと向かった。
 撮影待機を始めてから半月、小規模の産卵は2度あったが、一面のサンゴが卵を産むような大規模なものはなかった。

  その日、6月としては珍しく台風が接近してきていた。大型の台風である。海面もかなり波立ってきていたが、とりあえず日没後にスキンダイビングで下見に入った。

 すでに始まっていた。赤い卵の一部がサンゴのポリプにはっきりと見えている。人間で言えば、"陣痛もずいぶん前に始まりすでにお産も半ば"というところだろうか? 泳ぎ回って見ると、ほとんどのサンゴが卵を産もうとしていた。
 まもなく大規模な産卵が始まる。
 僕は波立っている海岸から、何往復もして4台の水中カメラを持って入った。3mも潜ると底揺れの影響もなくなり、台風が接近しているとは思えないほどの静寂な世界が広がった。

 日没から2時間経った頃、海の中を静かに卵が漂い始めた。1oほどの小さな赤い卵が、ひとつふたつとサンゴのポリプから離れ始めたのだ。周りを見回すと、まるで何かの合図があったかのように、一斉に産卵が始まっていた。
 ポリプから離れた卵は、水中を漂いながら、ゆっくりとゆっくりと水面に向かって浮き上がっていく。
 数分後には、海の中は赤い卵で埋め尽くされていた。

  念願の撮影を終え、夜遅く家に戻ると、留守番電話に友人の訃報が入っていた。小笠原で知り合い家族のように10年以上付き合ってきた親友だった。
 身近な人の死や病気は、周りの者にたくさんのことを教えてくれる。彼がガンを発病し、そして死を迎えるまでの1年間、僕はずっと"生きる"ことの意味を考え続けた。
 人は何をするために生まれ、そして死んでいくのだろうか?
 この答えは、僕にはまだ分からない。
 人は光の世界からやって来て、つかの間の人生を送り、再び光の世界へと帰っていく。それぞれの人生には、予め用意された役割や課題があるのだという話を聞いた。
 きっと一瞬一瞬を一生懸命に生きること自体が人生であり、そうやって自らを成長させていくことが生きている目的だという気がする。
 友人がこの世を去ったその同じ時刻に、彼の故郷の海では無数の生命が生まれていた。これは単なる偶然かもしれない。しかし誕生と死という2つの"いのちの物語"が、1000キロという距離を隔てて同じ時間を選んだことは偶然ではない不思議なつながりがあるように、僕には思えるのである。