イルカの気持ち

イルカ イルカは不思議な生き物である。
 毎年バンドウイルカの撮影をしていると、「イルカの気持ちが分かるようになってくるでしょう?」と聞かれることがある。この手の質問をする人は、きっと僕のことを“野性のイルカとコミュニケーションしているスピリチュアルな青年”と思い込みたいのだろうが、僕はつい正直に「いやー、イルカのことは全然分かりませんよ」と答えてしまう。

 10年前、八丈島、小浜島、父島とダイビングサービスに居候をしながら過ごした後、僕は小笠原の海を大学卒業後の仕事場として選んだ。幾つか理由はあったが、クジラとイルカに遭えるというのが何よりも大きかった。
 当時、小笠原のバンドウイルカはボートとはいつも並んで泳いでいたが、水中で人に近寄ってくることは殆どなかった。初めて撮ったイルカの水中写真は、ニコノス&28ミリmmレンズで2頭ぼんやりと写っているものだったが。その頃の僕には何よりの宝物だった。
 今思えばあの頃は誰にも言わなかったが、「いつかTVの『わんぱくフリッパー』のようにイルカと特別な友達になりたい!」と、かなり真剣に考えていた。そのための餌付け作戦なども具体的に計画していた。

 その後、小笠原に潜りにくるダイバーが増えるにつれて、水中でイルカに遭遇する機会も多くなり、少しずつイルカと人との距離も近くなっていった。人のすぐ近くではかなり速いスピードで泳いでいたイルカたちも、そのうち人と並んでゆっくり泳いだり、周りをグルグル回ったりするようになっていった。
 野性のイルカの観察は、僕のカメラマンとしての最初のテーマだったので、この数年間小笠原と御蔵島で6月から9月まで夏の4ヶ月を過ごしている。
 何年か前まで、僕にとってのイルカは“憧れの特別の存在”だった。しかし、海の大きな広がりの中でイルカを待つ時間を重ねていくうちに、僕の中でイルカは“特別な生き物”ではなくなっていった。餌を食べたり、交尾を狙って争ったり、休息をしたり、自然の中で本能の声に従って生きているごく普通の生き物だった。すごく当たり前ののことだがイルカは、そしてきっと人間も、魚や鳥やウミガメなど他の生き物と“同じように特別”であり、“同じようにごく普通”の生き物なのだろう。