進化の時間

 小笠原で暮らし始めて12年になる。
 毎年同じように繰り返されている島の自然の営みにも、年ごと季節ごとに新しい発見がある。そしてその発見は些細なものであっても、僕にとって見慣れてしまった風景を再び新鮮な眺めへと変えてくれる。
 いつの頃からだろうか?
 小笠原の風景の中に、“進化の時間”がゆるやかに流れている様子を 感じられるようになった。

 東京から南に約1000kmの太平洋上に浮かぶ島々・小笠原諸島。
 この亜熱帯の島々は、海上に島として現れてから大陸と一度も陸続きになったことのない“海洋島”として数100万年の年月を経てきた。
 小笠原に生息しているのは、かって他の地域から偶然たどり着いた生物の子孫である。それぞれの種が東南アジアや沖縄、ハワイやミクロネシア、本州や伊豆諸島から、海流や流木、鳥や風などに運ばれ“移住”してきた歴史をもっている。
 どこまでも広がる海の上で小さな島にたどり着くのは、どれほどの確率なのだろうか? きっと、ほんのひとにぎりの生命だけに与えられた偶然の機会だったのだろう。そして島にたどり着いた生物のうち、どれ だけのものが子孫を残すことができただろうか? 運よく生き延びることができた生物たちは、大陸から孤立した“海洋島”という環境の中で、何万年、何十万年という時間を過ごしてきた。
 ゆるやかに流れていく時間の中で、独自の進化をし続けてきた生物たち。
 そんな生物たちが小笠原独特の風景を作り上げてきた。 湿潤な沢沿いは固有種のヤシや木性のシダが生い茂る亜熱帯のジャング ルが鬱蒼と覆い、乾燥した尾根には固有植物が数多く見られる乾性低木 林が広がる。日没後の森には、両翼を広げると1mにもなるオガサワラオオコウモリが果物や蜜を求めて静かに羽ばたく。
 一見地味にも見える小笠原の植物や昆虫たちは、その存在自体が広い海の広がりと長い時間のつながりを内包しているのである。

 ある風景を眺めるとき、もし何100万年、何億年もの時間から見 ることが出来たとしたら、そこにはゆるやかに変わり続けていく自然の営みが見えてくるだろう。それは決して止まることのない変化を続けている生命体・地球(ガイア)の時間なのかもしれない。
 同じ風景を一人の人間に与えられている短い時間から眺めるとき、それは毎年変わることのない繰り返しに見えるであろう。かつて人はそこに複雑に織られた生態系の“ゆるぎのなさ”を、畏敬の念とともに見ていたのかもしれない。