数日間激しく吹き続けたナライ(北東の風)が止んだ。
久々に風音のない静かな秋の夜。
「ピーウィー」という鳴き声が家の中まで聞こえてきた。外へ出て夜空を見上げると、今晩はたくさん飛んでいるのが見える。
島で「カツオドリ」と呼ぶオオミズナギドリだ。
「イルカの島」としてこの数年有名になった御蔵島だが、島で生きる人たちは昔からイルカよりもこのカツオドリと遙かに深い関係があった。
御蔵島は「カツオドリの島」なのである。
その1 「5月の夕暮れ」
5月、道雄さんが「今日はカツオドリを見に行こう」と言った。
海上で小魚を追い群れ飛ぶオオミズナギドリの"鳥山"をそれまでもよく見ていたが、島での様子はまったく知らなかった。
夕方、村から車で15分ほどの川田という谷に向かった。
夕焼けから夕暮れへ、日没から30分程経過した頃、夕凪の空には静かに闇が迫っている。
薄暗くなった空に1羽の鳥が現れた。
夕焼けのなごりでわずかな赤みを残す空を背景に黒くシルエットで見えるその鳥は、弧を描きながら素早く滑空する。鳥の姿ははっきりとは見えないので、まるで大きなツバメが飛んでいるかのようにも見える。
「カツオドリが帰ってきたな」
道雄さんがボソっとつぶやく。
そのまま眺めていると鳥が次々と現れ始めた。
闇が迫るにつれて、鳥の数はどんどん増えてくる。
夕暮れの空からわずかに聞こえるのは、「ビューッ」という鳥の両翼で風を切る音だけ。
不思議な感覚だ。
地球が自転して昼から夜へ。天体的な時間の流れの中で、生物はそれぞれに「生命のとき」を刻んでいる。そしてこの大きな循環の中の"今ここに"自分自身もたしかに存在している。
そんな思いが僕の胸を満たしていた。
呆然と夕闇の空を眺めていると、鳥の数はさらに増え続ける。
「ピーウィー」「ウォーアー」と鳴き声も空から聞こえてきた。
いつの間にか夜空は何千何万という数え切れないほどのオオミズナギドリで埋め尽くされ、「ピー」「ウォー」とにぎやかな鳴き声がそこら中に響いている。森の中からはバサバサと鳥が落下する音も聞こえてきた。
さっきまでの静寂な世界は消え去り、あたりはけたたましいほどのにぎやかさになっている。村で寝泊まりしている僕は、島中の森でこんな騒々しい世界が毎晩繰り広げられているとは、この日までまったく知らなかった。
オオミズナギドリとは翼を広げると約1.2mになる海鳥である。毎年2月から11月にかけて御蔵島で営巣し子育てをする。その数は数10万羽から数100万羽。あまりにも多いため生息数を正確に把握できていない。たぶん世界で最大の繁殖地だろう。
初夏に卵を1個だけ産み、真夏になると雛が産まれる。親鳥は海に出て餌を捕り、島で待つ雛へと運ぶ。10月になると親鳥は雛を置き去りにして南の海へと旅立つ。そして11月、若鳥に育った雛は御蔵島から巣立っていく。
巣は森の地面に掘った穴の中。その深さは2〜3mにもなる。数10万羽もの鳥が巣穴を掘るのだ。おかげで御蔵島は島中が穴だらけである。
オオミズナギドリは昼間は海で過ごし、日が沈んだ後、島に帰って来る。海面すれすれを優雅に滑翔するオオミズナギドリだが、森の中を自在に飛ぶことはできない。そのため日没後に島へ戻ってくると、巣の近くで木に身を預けるように"着陸"し、あとはバサバサと落下するように森の中へ飛び降りてくる。
卵を抱く6〜7月や雛が小さい8月には親鳥の1羽は巣に残っているが、5月や9月にはつがいの2羽とも海へと出るので、島への出入りがとくににぎやかになる。日没近くなると島の沖合には数え切れないほどのオオミズナギドリが集まり、群れ飛んだり海面で休んだりしている。
月明かりに照らされた夜空を道雄さんと僕はしばらく眺めていた。
夜空を覆い尽くしたオオミズナギドリは巣穴のある森へと次々に帰っていく。僕らのまわりの森も「ピーウィー」「ウォーアー」「バタバタ」とますますにぎやかになった。
しかし夜空を舞う鳥はまったく減る様子もない。まだ海から帰って来る鳥がたくさんいるのだ。
御蔵島はまさに「オオミズナギドリの島」なのである。
その島のほんの一部に人が"住まわせて貰っている"のだろう。
そしてこれほどの生命を養っている海がここにあるのだ。
何という豊かさ。
イルカとオオミズナギドリが子育てのために選んだ場所が同じ島だったことは、きっと偶然ではないのだろう。
僕は黒潮の激しい流れに思いを馳せながら、オオミズナギドリが夜空を舞う光景をいつまでも眺めていた。