3日目の午後、村のすぐ前にある港で海を眺めていた。
しばらくすると、遠くにイルカの背ビレが見えた。海岸沿いにどんどんこっちへと泳いで来る。小さな子イルカの姿も2〜3頭見える。
ベタ凪の海からは、「プシュップシュッ」というイルカの呼吸音まで聞こえてきた。
10頭ほどのイルカの群れは、桟橋の先端に立っている僕の数m先を通過して、やはり海岸と並行に泳ぎ去っていった。
陸からこんなに簡単に観察できたことに、僕は心底びっくりした。
夕方まで眺めていると、イルカの群れは幾つも現れては、目の前を泳いで通り過ぎていった。
ふと周りを見回すと、釣りをしている島民は大勢いるのに、イルカを見て喜んでいるのは僕たちだけである。イルカを指差したり目で追う人すらもいない。
このとき僕は、やっと「イルカは玉石みたいなもんだ」という言葉の意味が分かった。
ここではイルカは“いるのが当たり前のもの”だったのである。
周りの海には黒潮が流れ、海に出られさえすれば魚はたくさんとれる。だからイルカを目の敵にする必要もなかった。
かといって、ことさら大切にする理由もなかった。
イルカは昔からいつでも島の周りや村の前を泳いでいるのだ。
御蔵島の海を泳ぐイルカたちと、そのイルカをまったく特別扱いしない島の人たち。
あまりにも何気ないその関係は、都会育ちの僕にとってすごく新鮮だった。
「なぜ、ここにだけイルカがたくさんいるのだろう?」
旅の間、僕の頭にはいつもこの疑問があった。
その答えは当時の僕には検討もつかなかったが、島の厳しい自然やイルカを特別視しない島民との関わりがあってこそ、イルカがここにいるのだろうという気がした。
どうしてもこの答えを見付けたい。
この思いが、その後何年間も僕を御蔵島へと通せることになった。
追伸:
イルカのウォッチング&スイムが盛んになって数年経った今も、御蔵島の島民とイルカの関係は基本的には変わっていません。僕の親友・栗本道雄さんは“島民がイルカに興
味ない”ことをお客さんに説明するのに、「都会で車や電車を見ても“あっ車だ。すげえなー”なんて言わないでしょう。それと同じだよ」と言っていました。
(民宿 鉄砲場(てっぽうば)栗本道雄 TEL 04994-8-2209)