「回し網」その2

 昨年、いよいよ念願の回し網に参加しようと、僕は週末ごとに港で待った。
 小網は数人でも出来るので突然行われることもあるが、人数が必要な大網は今は休日にしか行われないのである。
 週末でも、幾つもの条件が揃わないと回し網は始まらない。
「うねりが大きすぎてダメだ」
「魚がいねえよ」
「人が揃わねぇ」
 ベタ凪の日に「今日こそは」と思って港へ行くと、「カツオが釣れるから、皆"一人漁師"になって出ちまったよ」などと言われる。
 島の男衆は"この週末は回し網をやるか?やらないか?"を、皆お互いに分かっているようである。その気配がまったくない日に、「今日はどうですかね?」などと間抜けな質問をしているのは、どうやら僕だけのようだった。
 週末ごとに"浜番"をしていたが、回し網は行われないままに何週間も過ぎていった。

 7月末の土曜日、北東の風(ならい)が強く雨も降っているので、家でのんびりしていると突然電話が鳴った。
「何してんだ。皆もう集まってるぞ。すぐに降りて来い」
 なんてことだ、一番大事な日に出遅れてしまうとは。僕は慌てて準備をして海へと降りていった。
 港ではすでにボートも浮かんでいて、10人以上の男衆が集まっていた。下は中学生から上は70代まで。17〜18人が3隻のボートに分乗し、島の南西側・黒崎へと向かった。
「せりだ。岸の近くにせってるぞ」。
"せり"とはタカベの群れが水面でプランクトンを捕食している状態のことで、水面がざわついて見える。
 50代の人たち4人が、3点セットを付けて素早く海へと飛び込んだ。
 それぞれが群れの端を泳ぎながら、魚の位置や潮の流れを確認し、網船に向かって合図を送る。船上から見ている僕には、水中の様子がよく分からないのだが、さすが何10年もやっているだけある。網船の船頭は、まちまちにやってくる指示から群れ全体の動きを把握し、泳いでいる人たちごと囲い込むように網を入れ始めた。僕らは網につながるロープの端を持たされ、数人で玉石の海岸に上陸し合図にしたがって引っ張る役になった。網の反対側の端にもロープがつながれ、やはり数人で上陸し同じように引っ張っている。
 まるで地曳き網だ。陸に向かって袋状に網を曳いているのだ。
 水中ではいったい何が起こっているのか、このあと網をどうするのか、よく分からないままに、とりあえず僕は網を曳いた。
 船上からは「曳けーっ!」とか「曳くなーっ!」とか指示がやってくる。「曳くな」と言われても距離が離れていてよく聞こえないので、大抵はますます一生懸命に曳いてしまい、そのうち大声でガマレてしまう。
 数分ほど引くと、網はずいぶん上がってきた。
"よとり"という網の奥も、浅いところまで近付いている。
 さらに数人がボートから海へと入った。
「もう曳くなっ」という合図と同時に、泳いでいる人たちは網の中で横一列に並び、「バシャバシャ」と大きな水音を立てながら、網の奥へと泳ぎ始めた。タカベをよとりに追い込んでいるのだ。数人が素潜りで入り、魚を囲い込むように網を底から引き上げ、そのままタカベは一気にボートへと引き上げられた。
 島の人たちは皆、平日は別の仕事をしている兼業漁師なのに、何という手際の良さだろう。最後はあっと言う間の出来事だった。