「回し網」 その3

 タカベを満載し港へと帰るボートは、大漁旗を立てた。
 皆、いい仕事をして上機嫌である。
「これがいいんだ。最高の遊びだよ。だいぶ逃がしちまったけど、あれでちょうどいいんだ。おかずもたくさん捕れたからもう充分だ」と栗本さんが言ったとき、ボートの前方に突然"せり"が現れた。
「せりだ。でかいぞ、こりゃ。」
 男衆の目つきがにわかに真剣になり、再び緊張感が走る。さっきまで「もう充分」と言っていた栗本さんの顔もみるみる紅潮し、興奮して「おいっ、やるぞ。準備しろ!」などと叫んでいる。
 何日か前、ある人が言った言葉を思い出した。
「俺らはよ、狩猟民族だから…」
 まさに"血が騒ぐ"とはこのことだろうか?
男 衆の表情に、僕は"先住民"と呼ばれる人たちと重なるものがあるような気がした。

  結局、このせりはタカベではなくキビナゴだったので、網は入れずにボートは港へと向かった。
 村へと戻ると、ボートを陸上げし、皆が集まった。
「上手くやればもっと捕れた」とか「お前の網の入れ方がどうだ」「どれだけ逃げた」など、皆好きずきにいろいろなことを言い合っている。こんなとき島の人たちは、まるで仲の良いひとつの家族のように見える。
 漁の参加者を数え、人数分の魚の山を港のスロープに作り始めた。
 文字通りの山分けだ。
 回し網は誰でも参加でき、平等に魚が分配されるという昔からの掟があるのだ。僕も一人分の分け前を貰った。
 一人分と言っても何10匹にもなる。皆それぞれに持ち帰り、隣近所へと分け合うのだ。狭い村のことである。回し網をやった夕方には、タカベを配り歩く人に何度も出会ってしまう。そうやってタカベはその日のうちに村中に行き渡り、夕方にはあちこちで塩焼きをする煙が上がるのである。
 御蔵島に代々暮らしてきた人たちは、厳しい自然環境の中で、村中が皆で支え合って生きてきた。そうやって培われた気質は、今も島民の中に色濃く残っているように、僕には感じられる。
 自然と共に生きる暮らしとは、物質的にだけではなく、精神的にもその土地と密接につながっているのだろう。そうやって生きている人たちにとっては、人間は本当に自然の一部であり、自然と自分自身の境界がとても曖昧になっているような気がする。
「イルカの棲む島・御蔵島」は、厳しい自然とそこに生きる島民がひとつになって作り上げてきた独特の風土が残っている島なのである。

追伸.
今年(99年)の6月は、小網を何度もやりました。獲物はそのときどきで、小タカベ、ムツ、キビナゴなど。
7月から僕は週末には一切予定を入れないようにして、毎週大網に参加するために"浜番"をしていました。
大網の出漁は2度。しかし海が悪かったり、魚が少なかったりで、網を入れずに帰ってきました。
結局、この夏の大網はその2度の"あぶれ"だけで、海に網を入れることはありませんでした。
回し網は、まさに"幻の漁"なのです。