"イルカは玉石"その後(93御蔵)〜その1

 93年5月、僕は再び御蔵島を訪れた。
 長い船旅だった。父島から御蔵島まで2度も船を乗り換えて2泊3日の旅だ。
 1年ぶりの御蔵島は、初めて訪れたときと何も変わっていない。小さな村にはゆっくりと時間が流れていた。島の時間と都会の時間。このふたつの時の流れが同じ時代の同じ国、それもどちらも東京都に存在しているとは、とても不思議に感じてしまう。
 そして島の人たちは、相変わらず誰もイルカを特別扱いしていない。
 イルカは昔通りに「玉石と同じようなもの」だった。
 92年の初めての訪問はわずか数日だったので、今度はじっくりとイルカを観察するための長期滞在である。今回も前年同様、僕とアイサーチ・ジャパンの岩谷孝子がメンバーだった。(ちなみに後日教えて貰ったことだが、この年も島内では「イルカ男」と「イルカ女」で通っていたらしい。)
 この当時の御蔵島には観光客などまったく来なかったし、相変わらず宿泊施設はどこも営業していなかったので、僕たちは空き家を借りて滞在することになった。栗本道雄さんが世話役になって、家に布団、ガスに水道、冷蔵庫に食器と全てを手配してくれた。
 漁師をやっている道雄さんは、その当時「トサカ漁」という潜って海草を採る漁で忙しかったので、海へは自分でボートを出すことになった。半日だけ道雄さんの案内で海に行き「あそこが暗礁だ」とか「ここは岩の内側を通る」とか教わり、「あとはボートを貸すから気を付けてやれよ」と言われた。
 小笠原では自分の小さなボートで海に出ていたので、やはり自分自身で操船しないと思うような観察はできない。ボートを任されたのは、僕にとって幸運だった。
 しかし御蔵島の周りは黒潮の激流が渦巻く厳しい海である。今思えば、なぜこの荒い海にすぐに自分だけで出させて貰えたのだろうと、不思議に感じる。
 実際に海に出ると、やはり御蔵の海は小笠原に比べて遙かに厳しかった。まず風の強さが全然違う。周りがすべて断崖絶壁になっているので、島の近くでは風が数倍にも強くなってしまうのだ。そのため、少しでも風が吹いている日にボートを走らせると、全身に波しぶきをかぶる。
 海水が目にしみる痛さと寒さ。
 さらには、黒潮の激流が島にぶつかって作り出すバシャバシャの三角波。小笠原だったら列島端の数少ない難所のようなところが、御蔵では島の周り中という印象である。港のすぐ目の前がかなりの難所というのもたちが悪い。バタンバタンと波に船底をたたきつけられるたびに、出港したときの意気込みは萎えてしまいそうになる。
 "穏やかな南海育ち"の僕にとって、御蔵はかなり根性の要る海だった。