フルーク・アタック

クジラ 初めて水中でクジラと遭ったのは、今から9年前のことだった。
 午後のダイビングポイントへの移動中に、入江で休憩している親子連れのザトウクジラを見つけた。その頃の小笠原はホエールウオッチングもまだ始まっておらず、島のすぐ近くでクジラを見るのは珍しかったので、僕たちは興奮して水中撮影を試みた。
 今にして思えば、なんて強引なアプローチだったろうと反省してしまう。まるで追い込み漁のようにボートをクジラの前に回り込ませて、無理やり水中に飛び込んだ。
 アプローチの方法も現像結果もお粗末な撮影だったが、初めて間近に見た3頭のザトウクジラの印象は、あまりに強烈で僕を圧倒した。神々しいまでの巨体が水中を悠然と泳ぐ姿は、いつまでも脳裏に焼きついて離れなかった。
 もう一度水中でクジラに遭いたい、何とか水中写真を撮りたいと思い続けているうちに数年が過ぎ、僕はその思いを実現するためにインストラクターを辞め、フリーのカメラマンになった。
 毎年2ヶ月間、クジラの撮影をして過ごしているが、水中で撮影するチャンスは頻繁にあるわけではない。“人慣れ”したイルカと違って、クジラはやはり警戒心が強い。ゆっくり泳いでいても人間が追いつけるようなスピードではないから、クジラの方から人に興味を示して近寄ってこないと“いい撮影”にはならない。
 今年、念願の“クジラにグルグル回られる”という出来事に初めて遭遇した。
 3月後半、南島の沖でペックスラップ(胸ビレ打ち)をしている2頭のポッド(群れ)を発見した。バンドウイルカ数10頭が一緒に泳いでいる。これはいい兆候だ。ペックスラップをしているときはリラックスしていることが多いし、イルカを見ていれば水中のクジラの位置も正確に予測できる。
 ゆっくりボートを近付けて水中にエントリーしてみた。
 いきなり数10頭のバンドウイルカが泳いできて、僕の周りをグルグル回る。“今日は君達の撮影じゃないんだ、僕の周りではなくクジラと並んで泳いでくれよ”と目で合図しても、全くお構いなしで僕の周りを回っている。これじゃ視界が遮られてクジラの姿が見えづらい。そのうち何とかイルカの群れの向こうに2頭のクジラの姿が見えてきた。イルカとクジラを一緒に撮影したいが、すぐ目の前を泳いでいるイルカたちは近すぎて却って邪魔になってしまう。あれこれフレーミングを考えながらやっとシャッターを一枚切ったときには、クジラはすでに後ろ姿で、そのまま泳ぎ去ってしまった。
 イルカたちはまだ僕の周りをグルグル回っている。絶好のチャンスをいい感じで撮影出来なかった僕の苛立ちとは裏腹に、相変わらずの“ピースな笑顔”で泳いでいる。
“イルカとは思いが通じる”なんて、いったい何処の誰が言ったんだろう。僕の目に映るイルカたちは、人間の思いとは全く関係なく、いつも自由気ままに自分たちのためだけに生きているように見える。
 そのうちイルカも僕を残して泳ぎ去っていった。
 やむを得ずボートに戻ろうと思ったときに、深い海中から視線を感じた。