1頭のクジラが僕の真下の水深20mあたりで静止して、僕の方を伺っている。
さっきのクジラがいつの間にか気配もなく戻って来ていたのだ。どうもこちらに興味があるようだが、そのままホバリングを続けているので、僕は静かに潜ってみた。するとクジラは体を少しひねり、姿勢を変えて僕を凝視している。きっとクジラにとっては、生まれて初めて見る奇妙な生き物だったのだろう。そのうちクジラは一瞬僕の方に近寄ってから、すぐに泳ぎ去っていった。
 クジラが視界から消えた後も、とりあえず水面に浮いて待っているとクジラは何回も戻ってきた。毎回、僕の方をしげしげと眺めてから泳ぎ去っていく。それでも警戒心は消えないのか、僕との距離は常に10m以上は離れていた。何度現れてもクジラとの距離は近くならないので、僕の方から泳ぐのは止めて、じっとクジラを待ってみることにした。するとクジラは僕の周りを周りながら、徐々に近寄ってくる。巨大な全身がみるみるひとつの視界に入りきらなくなる。するとクジラは急に動きが激しくなり、水面で仰向けになって泳ぎ出した。僕は夢中で撮影していたが、そのうちクジラの巨大な尾ビレが視界いっぱいに迫ってくるのが見えた。“これはマズイ! 近すぎる!”と思ったときは遅かった。
尾ビレの端が“ドーン”という衝撃とともに僕の太股を直撃した。視界は一面泡で真っ白になっり、強い水の勢いを感じた。しばらくして目の前の泡が消えたときには、クジラはすでに遠く泳ぎ去っていた。
 幸い怪我も痛みも全くなかったが、正直言って怖かった。クジラの力強さを改めて思い知らされたようで、しばらく茫然としてしまった。尾ビレの先に付着しているフジツボなどが、顔を擦っていたら、きっと血だらけで水面に浮かび上がるはめになっていただろう。
 クジラがわざと尾ビレを当てていったのか、偶然触れてしまったのかは分からなかったが、僕にはクジラは遊び半分でからかっていったような気がした。
 ザトウクジラが目の前に迫ってくるときの圧倒的な量感は、何度経験しても僕の貧弱な想像力を遥かに越えている。そして水中の僕はいつも“うわっ! デカ過ぎる!”とアセッてしまい、あまりいい撮影ができないのである。