イルカ イルカを特別視しなくなってから、僕の撮影はすごく“楽”になった。水中で“一緒に泳ぐ”かどうかは、イルカが決めることなのだ。のんびり待って、イルカが来たらリラックスして水に入ること、それだけだ。あとは“イルカまかせ”にするしかない。「クルッと回転するといい」とか、「おなかを見せるといい」とか、いろいろ言う人がいるみたいだけど、僕にはあまり関係ないように思える。イルカはそっ気なく行ってしまうこともあれば、しばらく“一緒に泳いでくれる”こともある。僕がどんなに「あーっ行かないで〜!」と思っても、イルカは気の向くままに通り過ぎていってしまう。
“イルカと泳ぐ”ことに多くの人がハマッてしまうのは、まるで“かないそうでかなわない恋愛”のような、思いどおりにならない歯痒さが実は魅力なのだろう。

 小笠原と御蔵島で何年間かバンドウイルカの観察をしているうちに、何となくイルカの生活ペースのようなものは感じられるようになってきた。しかし“イルカの気持ち”は相変わらずよく分からないし、“一緒に泳げる”ときかどうかも、海に入ってみないと分からないことも多い。水中でイルカが僕の周りをクルクル回っているときも、目を細めてイルカ特有の“笑顔”に見えることもあれば、怒っているように目を大きく見開いていることもある。
 イルカはどんなことを感じているのだろうか?
 ただ確かに感じることは、イルカは僕のすぐ近くにいるときでも、以前よりもすごくリラックスしているということだ。
 最近はまるで仲間に入れてくれるかのように、しばらく群れの真ん中をイルカに囲まれて泳ぐことも珍しくなくなってきた。しかし。そんな楽しい時間もつかの間で、イルカは何かを合図に一斉にスーッと泳ぎ去ってしまうのである。

 野生動物としての生態があまりよく分かっていないせいなのか、イルカに関しては、神秘的なイメージや人間好みのイメージが先行してしまっているようだ。 実際、イルカほど人によって異なるイメージを描かれている生物はいないかもしれない。“陽気な遊び友達”“一緒に遊ぶ愛玩動物”“都会での疲れを癒してくれるヒーラー”“自閉症児のセラピスト”……など。“宇宙人と交信するチャネラー”までいくとまるでSFである。

 さまざまな思いを寄せてイルカに遭いに遥か遠くの海まで多くの人たちが出掛けるなか、イルカたちはその思いを知ってか知らずか、相変わらずのマイペースで暮らしている。水中で僕たちが一生懸命イルカにラブコールを送っても、イルカはまるで僕たちをもてあそぶように、愛想をふりまいたかと思うとサーッと行ってしまう。
 そんなイルカと人との関係が、僕にはとっても面白く不思議に思えてしまうのである。