小笠原に流れる時間 〜進化の時間 その2

>  “人はどこからやって来て、どこへ向かっているのだろうか?”
 “何10億年という「地球と生物の進化」は、いったいどこへ辿り着くのだろうか?”

 小笠原で撮影を続ける日々の中で、僕の頭にはいつも人と自然についての“答えのない問いかけ”があった。

「海洋島」という大陸から遠く隔てられた環境の中で、独特な生態系を育んできた小笠原諸島。
 その森には、小笠原でしか見ることができない貴重な固有生物が生息している。
「生物の進化」という視点から小笠原の風景を眺めるとき、そこには “偶然性”と“必然性”という相反する2つの側面が見えるような気がする。
 例えば、ある固有植物の成り立ちについて想像してみよう。
 海流や鳥などに運ばれ、“偶然に”小笠原まで辿り着く。運良く生き残っていく過程で、環境的な要因や他種との競合関係などに左右されな がら、長い時間をかけていつの間にか元々の種とは異なる形態を獲得してきたのだろう。たまたま固有種として生き残ってしまったその生態は 、幾つもの“偶然”が積み重なって作り上げられたように思えてくる。
 一方、ひとつの生物ではなく、全体としての生態系に目を向けてみると、そこにはある法則性が存在しているように感じられる。
 植物や鳥、昆虫、そしてオオコウモリなどの生物が、長い時間をかけて少しずつ小笠原に“移住”してくることは、必然的に発生したように 思われる。また、オオハマボウやハスノハギリなど種子の多い海岸植物 などは、“偶然に”ではなく“確実に”小笠原まで辿り着き根付いたのだろう。
 そこには生態系をつかさどる法則、言い換えると必然性のようなものの存在が感じられる。

 ひとつひとつの生命や種の運命を左右する「偶然性」。
 生態系を全体としてつかさどっている「必然性」。

 この一見相反するように見える2つの側面が、“命の物語”を織り上 げているのだろうか?
 そして、それは小笠原諸島という狭い地域だけのものではなく、“地球(ガイア)という生命体”のもつ約束のようなものなのかもしれない 。

 進化の過程とその結果には、“特別な意味”や“大きな意志”が秘められているのだろうか?
 それとも単なる“偶然の寄せ集め”に過ぎないのだろうか?
 僕の頭の中には、終わりのない問いかけが繰り返されるのである。