"イルカは玉石"その後(93御蔵)〜その4

 93年8月。僕は再び御蔵島を訪れた。
 今回も空き家を借りて、この年2度目の長期滞在である。
 夏休みの御蔵島にも、やはり観光客などほとんどいなかった。
 今思えば、あの頃の御蔵島は陸も海もすいていて良かった。イルカを求めて海に出るボートは自分たちだけ。たまにダイバーのグループを乗せた三宅島の漁船を見かけるだけだった。
 イルカは5月に比べて、ますます"人慣れ"してきたようだ。
 手が届くほどの近くを泳いだり、徐々にリラックスしてゆっくりと泳いだりするようになった。1〜2時間もボートや人から離れないこともある。
 あるときなど、イルカがあまりにも長く一緒に泳いでいたので、僕の友人は「疲れた。もうこれ以上イルカには付き合いきれない」と言って、ボートに上がってしまったほどである。

 夏の終わり、僕の93年の観察も残りわずかというある日。
 それまで見たこともないようなイルカがやってきた。
 若いイルカの群れの向こうから、ひときわ体の大きなイルカが現れたのだ。
 お腹には一面のまだら模様。体色は黒ずんでいて、体のあちこちにキズ跡がある。泳ぎ方も悠然として、いつも見ている若いイルカと違い、どっしりと落ち着いている。
 大人のイルカだ。
 ずんぐりとした体型と顔付きは、どちらかと言うとかわいくない。このイルカを見ていると、かつて"海豚"と呼んだ理由が分かる気がする。"かわいいイルカ"にあこがれている女の子が、もし最初にこのタイプのイルカと出会ったら、心底がっかりしてしまうかもしれない。
 しばらくすると、さらにひとまわり体の大きなイルカが現れた。
 背ビレの前側が大きく欠けている。
 マエカケだ。
 海の中で出会ったマエカケは、体中がキズだらけのとても大きなイルカだった。
 小さなイルカを連れている。
 マエカケは子供連れの母イルカだったのだ。
 それで今まで警戒して、やって来なかったのだろう。子供は1〜2歳くらいだろうか。体色は薄い灰色で、目がクリっとして可愛らしい。
 子イルカはマエカケと寄り添うように泳ぎながら、僕にとても興味があるらしく、マエカケの大きな体の向こう側からこちらを何度も伺う。
 マエカケ親子は、僕の周りをグルグルと回ると、ゆっくり泳ぎ去っていった。
 この年、マエカケとの出会いはこの1回だけだった。
 その頃から、マエカケ以外にも、親子のイルカを水の中で観察できるようになった。
 "人慣れ"はイルカの社会に、少しずつ浸透しているようだった。